鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
318/712

注⑴ 萬木博康「《静物(赤き林檎二個とビンと茶碗と湯呑)》について ─劉生静物画群のなかでの⑵ 吉田暁子「《手を描き入れし静物》細見 ─光学調査結果の報告と『手』という図像の発想源⑷ 丸地加奈子「岸田劉生作品ウラ話」(『FUHAKU風柏 豊橋市美術博物館友の会だより』⑹ 吉田暁子「消された『手』 ─岸田劉生による1918年制作の静物画をめぐる試論」『美術史』【終わりに】⑶ 岸田劉生『色刷会報 二』1918年6月26日初出、引用箇所を含む一部を「静物の構図」として『劉生画集及芸術観』聚英閣、1920年に再録。どちらも、『岸田劉生全集』第2巻、岩波書店、1979年に再録。vol.102、2018年10月31日、5頁)参照。⑸ 岸田劉生『色刷会報 三』1918年8月24日、引用箇所を含む一部を「自作の或る静物画について(静物の美の実感)」として『劉生画集及芸術観』に再録。どちらも『岸田劉生全集』第2巻、岩波書店、1979年に再録。岸田劉生の静物画の構図は、時に制作中の変更を経ながら構成されていったことが光学調査によってわかった。光学調査は、得られる成果が多くの場合未知数である一方で、作品にかかる負担や作業人員の手間も多く、継続的な遂行には困難が伴う。本研究課題に採択され、複数の作品の調査機会を得られたことに心より感謝する。またさらに調査を重ね、画材の問題や描法の変化についても検討していきたい。次に本研究を通じ、岸田が静物画を宗教絵画に代わる画題とみなす考えを絵画化した室内画という作品を実見することができた。岸田のこの思想には、ファン・エイクの近代的な解釈に見られるような、当時日本にも紹介されつつあった西洋美術史からの影響があったと考えられるが、岸田と宗教絵画との関係を考える上で、岩間美佳氏によって発表された、この時期にさかのぼる一連の宗教的画題との関連は重要である(注14)。今後検討を進めたい。また、西洋の美術史による成果は、当然ながら美しい図版とともに到来した。書籍に掲載される図版が必然的に被るサイズの限定と、相対的に部分図が大きく迫力を持って見えることという事情は、岸田がこれらから受けた刺激を室内画の大作ではなく静物画に生かしたことに関係があるのではないかと稿者は考えている。また岸田が参照した様々な図版は、画家にとってだけでなく、日本において草創期にあった美術史学にとっても欠かせない資料であった。今後は、岸田劉生とこの国における美術史という学問との関係についても検討していきたい。一考察」『ふくやま美術館研究紀要』創刊号、2001年3月、75-98頁。についての試論」『美術研究』441号、2023年12月、17-37頁。183号、2017年、170-183頁。― 305 ―― 305 ―

元のページ  ../index.html#318

このブックを見る