㉙ 大安寺奈良時代後期木彫像の再評価─四天王立像を中心に─研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程 閻 志 翔はじめに奈良・大安寺には、奈良時代後期から平安時代初頭にかけて制作された9体の木彫像が伝わっており、唐招提寺木彫群と並び、初期針葉樹材製木彫像の貴重な遺品である。これまでに大安寺の木彫像は、唐招提寺木彫群の影響を受けて成立・展開したとする見解が有力視されてきたが、近年、両者にみられる技法と表現の差異から、大安寺木彫像の独自性を強調し、大安寺木彫像に対する再評価の動きが高まっている(注1)。本研究は、現在大安寺収蔵庫讃仰殿に安置されている四天王像に注目する。それらは、一具の制作ではないとみられるが、甲の形式や岩座の形などにおいて互いに類似性も示している。本年度では、特に制作年代が一番早く想定されている多聞天像〔図1~3〕を取り上げ、形式と作風の両面からその彫刻史的位置の再検討を進めた。初めて四天王像に詳細な考察を加えたのは田邉三郎助氏である。田邉氏は、小林剛氏が主張した大安寺木彫群像の一具説(注2)を否定した上で、増長天・広目天像は同作と考え、その服制や重い太づくりの下半身は、唐招提寺講堂二天像に通じるとし、持国天像は、模倣の趣きと沈滞した気分が強く、時代と作者を下げて考えるべきかと述べた。多聞天像は、一時期早い服制・姿態を伝えながら、唐招提寺二天像の装飾刻鏤の傾向に近く、制作時期を早く想定すべきだと指摘した(注3)。それに続いて、西川新次氏は、多聞天像は引き締まった肉付けや明快な動勢に、天平盛期の造形意識が伝えられるとともに、精緻な刀法に唐招提寺講堂二天像に通じると述べ、持国天像は、多聞天像に似ているが、表現に簡略化とゆるみがあり、やや遅れての作であり、増長天・広目天像はやや硬直したような表情や姿態のうちに塊量性が強調されており、平安初頭風が濃いと指摘した(注4)。それ以降、大安寺四天王像に関する論述は、基本的に田邉氏と西川氏の見解を踏襲している(注5)。そのほか、友鳴利英氏は、広目天像が本来東大寺戒壇院厨子扉絵(原図は天平勝宝7歳〔755〕頃)に描かれる、大刀を突く神将像と同様の形姿であったとし、四天王像の造立年代を早良親王のもとで大安寺の復興が行われた宝亀元年~宝亀6年(770~775)頃に求めるという見解を述べた(注6)。岩佐光晴氏は、これまで大安寺の木彫像が唐招提寺木彫像を前提に出現するものと理解する通説に対して、大安寺木彫像(特に十一面観音像、伝楊柳観― 310 ―― 310 ―
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