鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
325/712

まず、多聞天像の表甲は胸甲と一体化していることに着目したい。表甲と胸甲が一体化した作例として、東大寺法華堂執金剛神像(8世紀中葉)〔図8〕、同寺法華堂乾漆護法神群像(8世紀中葉)(注12)のうち、持国天像と金剛力士像(阿形)が挙げられた(注13)。つまり、表甲の形式においては、大安寺多聞天像と以上の作例との類似性が指摘できる。一方、多聞天像腋下の甲縁は、東大寺戒壇堂四天王像や同寺法華堂執金剛神像などの腋下にあらわれる下甲の甲縁〔図12〕と全く同様であることから、下甲の一部にあたると考えられる。しかし、胸甲左右の下層にあらわれる甲縁の正体が不明である。ここでは、唐招提寺講堂二天像(8世紀後半)の同じ部分〔図10〕に注目したい。例えば、唐招提寺講堂伝増長天像の胸甲左右の下に、覆輪が紐2条、界線が紐1条の甲縁がみられる。像の背面〔図11〕では、同意匠の表甲の一部が確認できるため、胸甲の左右の下にあらわれる甲は、胸下までを覆う表甲の可能性が高いと推定されよう。同寺伝持国天像の場合も同様である。こうした表甲の形式は、唐招提寺講堂二天像にはじめて確認されるものであり、つまり、大安寺多聞天の表甲は、胸甲と一体化した形式を採用しているものの、唐招提寺二天像にあらわれた表甲の新たな形式も取り入れ、その結果、こうした不整合のある甲の形となったことが指摘できる。(2)胸甲多聞天像の胸甲〔図4〕は、左右の胸中央部に花飾を配し、その中心より両肩にかけて吊革をあらわし、絞具と尾錠がつく。同様な形は、同寺持国天像(8世紀後半)のほか、唐招提寺講堂二天像、金剛山寺二天像(8世紀後半)のうちの吽形像など、同時期の檀像風天王像によくみられるものである。一方、胸甲左右の界線と覆輪の間隔をやや大きく取り、その間を唐草の文様で飾る。唐招提寺講堂二天像のような強い唐風を示す神将像の作例では同様な表現がみられない。それに対し、東大寺戒壇堂四天王像や同寺法華堂執金剛神像など8世紀の多くの神将像に同様な表現は確認できる。しかし、いずれも彩色による文様表現であり、多聞天像のような彫刻によるものではない。また、多聞天像の胸部にわたす紐の甲締具を中心に、宝相華の文様が左右へ展開する。こうした文様の配置は、同寺持国天像に似ていると指摘され(注14)、そのほか、大安寺増長天像や金剛山寺二天像のうちの吽形像、唐招提寺講堂伝持国天像など、8世紀後半の木彫神将像によくみられるものである。(3)肩甲多聞天像の肩甲〔図6〕は、前後に入りをあらわし、その上に宝相華の装飾が彫出― 312 ―― 312 ―

元のページ  ../index.html#325

このブックを見る