鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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されている。まず同様の肩甲の形式を示すのは、8世紀中葉の新薬師寺十二神将像のうち摩虎羅大将像と東大寺法華堂乾漆金剛力士像(吽形)〔図9〕である。次に多聞天像肩甲の上の装飾について、葉脈を彫出する5弁の花葉があらわされ、その左右に3弁萼、3弁花の側面形花文が2つずつ配され、中央に茎の上に3弁萼、5弁花の側面形花文を生え、茎の付け根の左右と花文の先に葉脈をあらわす花葉がみられる。こうした葉脈を彫出する花葉と萼のつく側面形花文は、唐招提寺講堂伝増長天のそれ〔図13〕と非常に類似していると指摘できる。唐招提寺講堂二天像の装飾文様について、正倉院宝物の刻彫梧桐金銀花形合子(南倉36)〔図14〕にみられる、葉脈などを浮彫で表した花葉文と共通している造形感覚および彫刻技法が指摘され(注15)、多聞天像の装飾文様の性格を考える上で重要なポイントである。(4)甲締具多聞天像は、胸部中央に2条の縦紐をわたし、その上下両端の結び目より襟まわりと胴まわりに各1条の横紐をめぐらし、全体的に工字形に紐をかけている〔図4〕。8世紀の著甲像の甲締具について、松田氏が詳論したことがある(注16)。それによると、8世紀第2・4半期に甲締具の定型が確立され、胸部と腹部に紐をわたす定型の代表的な作例として、東大寺戒壇堂増長天・広目天像があげられた。それらは胸部中央に2条の縦紐をわたし、その下端の結び目より胴まわりに1条の横紐をめぐらし、全体的に逆T字形に紐をかける。同形式は、8世紀第2・4半期における主流形式である一方、東大寺法華堂執金剛神像〔図8〕と同法華堂乾漆金剛力士像〔図9〕では、襟まわりにも1条の横紐をめぐらし、上半身に工字形に紐をかける。松田氏によれば、この形式は、逆T字形を元にしたアレンジとみられる。とすれば、甲締具において、大安寺多聞天像と東大寺法華堂乾漆金剛力士像、執金剛神像との間に類似性を指摘することができよう。(5)腰甲大安寺多聞天像は、腰帯の上に、表甲の正中合わせ目の左右から背面にかけて、大きな花弁形の腰甲がめぐらされている〔図4、5、7〕。腰甲とは、鑑真渡来に伴い、唐より日本に伝えられたもので、唐代著甲像の腰帯の下より下げる「鶻尾」という防具を写したものであることが松田氏により指摘された(注17)。唐招提寺伝増長天像では、腰帯の下、前楯の左右から背面にかけて花弁形の腰甲がめぐらされているが、その腰甲は、紐2条の覆輪がみられ、その上に精緻かつ立体的な文様が彫出されている〔図11〕。それと比べると、大安寺多聞天像の腰甲は、覆輪や文様がなく簡素なものであり、また腰帯の上にあらわされることは、その原型とな― 313 ―― 313 ―

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