鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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る「鶻尾」の配置原理から離れているといえる。しかし、大安寺多聞天像と唐招提寺伝増長天像の腰甲はともに大きな1弁と小さい2弁からなる3弁花によって構成されるものであり、いずれも腰甲の花弁と花弁の間にハート型の隙間がみられる。つまり、大安寺像の腰甲は唐招提寺像の影響を受けながら、それを簡略化したものと理解できる。3.作風に関する検討多聞天像の作風について、その太身のずんぐりとした体貌には、東大寺戒壇堂四天王像のようなスマートな体つきを示す天平盛期の作風と異なり、唐招提寺講堂二天像に代表される唐代からの新たな影響が指摘されている。また、甲表面に精緻な文様が彫出されているところも、唐招提寺二天像に通じているとされてきた(注18)。しかし、唐招提寺二天像と比べると、多聞天像の引き締まった肉付け(注19)や裳裾が短く、膝下をすっきりあらわす点(注20)に、天平盛期の造形伝統が伝えられているところもある。以下、本研究では、新たに面貌表現と側面観から多聞天像の作風に検討を加える。(1)面貌表現多聞天像の面貌表現〔図15、16〕は、極めて写実的であり、細かな筋肉の起伏が巧みにあらわされているところは特徴的である。特に歯を強く噛んだ際に目尻から口元や顎にかけて細かな筋肉の動きがリアルに表現されている。8世紀中葉の東大寺戒壇堂四天王像〔図17〕、新薬師寺十二神将像は、写実的でありながら、筋肉の表現はよく整理されており、滑らかな曲面によって構成されている。東大寺法華堂執金剛神像〔図8〕は、戒壇堂四天王像と同様な特徴を示しながら、その尊格による面部筋肉の動きが強調されている。続いて8世紀中葉の法華堂乾漆護法神群像をみると、四天王像は穏やかかつ細かな筋肉の表現を示しているのに対し、金剛力士像には強い忿怒の表現が認められ、特に吽形像〔図18〕は大安寺多聞天像との面貌表現が極めて近いと指摘できる。両像はいずれも細かな筋肉の起伏を示し、顴骨が高く張り、歯を強く噛んだ時に引っ張られている筋肉の動きを誇張せず巧みに表現している。次に唐招提寺講堂二天像〔図19〕は、面部筋肉の表現が写実的でありながら、よく整理されており、8世紀中葉の諸作例の表現を継承している一面がある。それに続いて、8世紀後半の法隆寺大宝蔵殿四天王像(食堂旧在)〔図20〕は、面部の筋肉を簡略化し、目・鼻・口の各造作を大きめに作って、大袈裟な面相をしていると指摘され、― 314 ―― 314 ―

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