鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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こうした誇張的な面相は、唐招提寺金堂四天王像(8世紀後半)、興福寺北円堂四天王像(延暦10年〔791〕銘)、興福寺東金堂四天王像(8世紀末~9世紀初)など、8世紀後半以降の諸像の示す面相に繋がっていくものであるという(注21)。つまり多聞天像の面貌表現は、法華堂乾漆護法神群像によって達成された写実的かつ細かな面貌表現に最も近いと考えられる。(2)側面観多聞天像の正面〔図1〕をみると、右手をあげ、左手を腰に当て、右足を上げて岩を踏む動勢は、大安寺四天王像の中で、最も動きがありまとまりがよいと指摘されている(注22)。こうしたバランスのよい正面観に対し、その側面〔図3〕をみると、頭をわずかに前に傾けながら、真っ直ぐ立っており、体前面の抑揚が少なく、両足も同じ平面に揃っており、平面的な印象が強い。その正面観と比較すると、側面観のぎこちない面が目立つ。8世紀神将像の側面観をたどってみると、天平6年(734)の興福寺八部衆像〔図21〕、8世紀中葉の東大寺戒壇堂四天王像〔図22〕、新薬師寺十二神将像は、いずれも、浅い奥行きの側面観を見せている。特に体前面の抑揚がほとんどなく、側面からみれば、像の正面が一つの平面にまとめられているようにもみえる。それらに続く東大寺法華堂の乾漆護法神群像も8世紀中葉までの諸作例の特徴を継承している。しかし、同時期の東大寺法華堂執金剛神像〔図23〕の上半身が大きく捻られていることは注目される。近年の重松優志氏の研究により、制作途中に金剛杵を振りかざす動勢を強調するために、執金剛神像の心木の改変が行われた可能性が指摘された(注23)。その一方、木彫像を中心に、神将像の側面観に新たな変化があらわれた。唐招提寺講堂二天像〔図24〕をみると、頭体の奥行きが深く(注24)、前後のアウトラインが抑揚に富んだ側面観を見せている。それと一具の制作とされる説もある金剛山寺二天像も同様である。こうした側面観は、明らかに8世紀前半以来の流れと異なり、8世紀後半の唐招提寺金堂四天王像や法隆寺大宝蔵殿四天王像などによって継承されている。ここで、改めて大安寺多聞像の側面をみると、頭体の奥行きが深く、唐招提寺講堂二天像と同様な傾向を示している一方、体前面の抑揚がほとんどなく、像の正面が一つの平面にまとめられていることは、興福寺八部衆像から東大寺乾漆護法神群像まで続いていた側面観の流れを受け継いでいると理解することも可能かと思われる。― 315 ―― 315 ―

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