㉚ パリ時代のシモン・ヴーエによる祭壇画に関する研究研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程 伊 藤 里 華序論本論考では、イタリアでの活動を終え、1628年に王室の要請によって帰国したシモン・ヴーエ(Simon Vouet, 1590-1640)が1629年に制作したパリでの最初の公的な作品であるパリのサン゠ニコラ゠デ゠シャン聖堂の主祭壇の絵画《聖母被昇天》を考察の対象とする。この主祭壇は、フランス革命期の聖像破壊運動から奇跡的に免れ、17世紀にパリで制作された主祭壇のうち原型を留めている数少ない作例の一つである〔図1〕。この主祭壇は「聖母被昇天」の場面が天空と地上に二分割された、二枚の絵画作品と、同じくイタリアから帰国した彫刻家ジャック・サラザン(Jacques Sarazin, 1592-1660)による四体の天使の彫像によって構成されている(注1)。この絵画と彫刻の連携は、同時代の著述家アンリ・ソヴァールが高く評価した事実に見られるように、大きな成功を収めたようである(注2)。作品の重要性に反して、主祭壇の注文に関する記録は現存せず、受注の経緯に関する具体的な考察が困難な状況にある。それゆえ、本作については漠然とイタリアの画家らの影響が現れた作品として言及されてきた。ヴーエのイタリア時代について論じたルイ・デュモンは、ティツィアーノ、バッサーノ、カラッチの作例からの影響を指摘した(注3)。ヴーエのカタログ・レゾネを執筆したイヴ・ピカールやウィリアム・R・クレリー、展覧会カタログを執筆したジャック・テュイリエらは、同時代のローマやボローニャの画家の影響が見られる重要な作品である、と認めながらも具体的な検討は加えなかった(注4)。しかしながら近年では、アンヌ・デルヴァン(1997年)、木村三郎(2018年)の論考によって、この作品の視覚的着想源についてより具体的な新しい案が提案されている。本論考では、これら二つの案の比較と検討を通じて新しい視覚的着想源を提示する。そして図像の借用の背景に、帰国後のヴーエが自身の肖像版画を用いて、パリの有力者に見せていた自身のイメージとの関連があることを指摘したい。1.視覚的着想源に関する考察17世紀のフランドルにおけるカラヴァッジェスキ研究で知られるデルヴァンは1997年に、ヴーエの作品について図像学的分析をおこなった(注5)。デルヴァンはまず、― 322 ―― 322 ―
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