鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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ティツィアーノがサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の主祭壇のために制作した《聖母被昇天》〔図2〕の本作品に影響を与えたことを強調した。さらにヴーエの絵画を含む主祭壇全体の構成がフィリベール・ド・ロルム(Philibert de LʼOrme, 1505/1510-1570)が制作したフランソワ1世とクロード・ド・フランスの墓廟(サン=ドニ大聖堂、1559年完成)を視覚的着想源とする新しい説を提唱した。ヴェネツィアに滞在した経験のあるヴーエがティツィアーノのこの高名な作品から少なからず影響を受けていることは確かであるが、ティツィアーノの作品においては神が描かれている点、石棺がほとんど描かれていない点、といった「聖母被昇天」の図像における主要なモチーフの扱い方に大きな違いがある。サン゠ドニ大聖堂にある国王の墓廟と本作品の類似については、石棺の視覚的効果の類似に留まっており、主題に共通点もないため、ヴーエが参照したとは考えにくい。2018年には、プッサン研究者である木村によってヴィーリクス兄弟による同主題の版画がヴーエの作品の着想源として指摘された〔図3〕(注6)。ヴィーリクスの版画はその版刻の質の高さから世界的な規模で普及したことが知られている(注7)。しかしながら二つの作品のあいだには、幾つもの差異が認められる。人物の表現については主に以下の二点に注目したい。ヴィーリクスの作品では聖母は両手を胸の前で合わせているが、ヴーエの聖母は天に向かって大きく広げている〔図3-1、図1-1〕。ヴィーリクスの版画の天使たちは青年の体格で描かれているが、ヴーエの天使たちは幼児の姿である。以上に述べた描写の差異に加え、二点の神学的見地から表現の違いも見られる。第一には、ヴィーリクスの作品では天使たちが聖母に触れているが、ヴーエの作品では天使が聖母に触れないよう注意が向けられていることである。スペインのイエズス会士であるペドロ・デ・リバデネイラは『聖人伝』(1606年仏語版)の「聖母被昇天」の項目において、聖母は「天使の助けを必要とせずに」天空へと運ばれたと記述した(注8)。ヴーエはこの主題を描くにあたりこのような神学的書物を確認していたのだろう(注9)。第二には、描かれた使徒たちの人数の問題である。ヴーエの作品では、伝統的な表現に則って聖トマスを除く十一人の使徒が描かれているのに対し、ヴィーリクスの版画には十六人の人物が描かれている〔図3-2、図1-2〕(注10)。これらの人物のうち中央に、ヤコブス・デ・ヴォラギネが著した『黄金伝説』に記述される、この場面に付き添った三人の女性が描かれている〔図3-2〕(注11)。すなわち、ヴーエがヴィーリクスの版画を参考にして作品を制作したのならば、女性たちも描かれるべき― 323 ―― 323 ―

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