である(注12)。これらの差異をふまえ、よりヴーエが参照した可能性の高い作例として、ローマのトリニタ・デイ・モンティ聖堂のプッチ礼拝堂に描かれた、ズッカリ兄弟作《聖母被昇天》(1520-1589年)を新しく指摘する〔図4〕。この礼拝堂のフレスコ画は、タッデオ・ズッカリ(Taddeo Zuccari, 1529-1566)が注文を受け、弟フェデリコ・ズッカリ(Federico Zuccari, 1540/41-1609)が1589年に完成させた作品である(注13)。これら二つの作品は多くの共通点を持つ。まず、ズッカリの聖母もヴーエの聖母も同様に両手を広げ、天空を見上げている。このポーズはビザンティン美術においてとりわけ伝統的に描かれてきた、神への祈りを示すオランスの図像を連想させる。両作品とも、聖母は腰紐を巻き、姿勢は右膝を立てて、左膝をやや後方に下げている〔図4-1、図1-1〕。どちらの作品にも背景に景色は描かれず、後景の穏やかな青色と聖母を囲む光輪の黄金の輝きが対比している。さらに、聖母の周囲を取り囲む逆三日月のような雲は重量感があり、その雲に乗る幼い天使たちは手にリボンを持ち、聖母に触れないように描かれている。半円形の石棺は、中が空であることを見せず、正面から描かれている〔図4-2、図1-3〕。中央に配置された使徒たちは屈んでおり、雲の形状と合わせるように同じ逆三日月型を形成している。描かれた人数は十一人で、三人の女性たちは含まれていない。おそらくヴーエはサン゠ニコラ゠デ゠シャン聖堂の《聖母被昇天》を描くにあたって、図像の全体はズッカリ兄弟の先例を参照しつつ、人物のポーズにはよりバロック的な動きを加え、色彩の鮮やかさに関してはティツィアーノやカラッチの先例を採りいれたのだろう。ズッカリの作品が当時と同じ場所に設置されているトリニタ・デイ・モンティ聖堂は、ローマにあるフランス人のための聖堂である(注14)。さらに、このズッカリの作品には、近い構図で描かれたヴァリアントと見られる、タッデオの下絵に基づいてフィリップス・ハレ(Philips Galle, 1537-1612)が版刻した《聖母被昇天》(1547-1612年)の版画が存在する〔図5〕。ヴーエはローマで作品を実見できる環境にいた上に、複製版画によって帰国後にもこの作品に近い構図を参照することができたであろう。2.帰国後のヴーエが目指した画家像ヴーエがパリで制作した主祭壇画のうち、サン゠トゥスタシュ聖堂の主祭壇の絵画《聖エウスタキウスの殉教》(1635年)や、サン゠ルイ聖堂の主祭壇の絵画《キリスト― 324 ―― 324 ―
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