㉛ 小様による視界の獲得研 究 者:九州大学大学院 人文科学研究院 助教 前 田 佳 那はじめに「小様」とは、制作過程において用いられた雛型である。北宋の建国期(注1)、都における大造営事業の制作過程において、この小様という具体的な視覚イメージを通じて、画家たちは対象を把握し、そして皇帝をはじめとする為政者との間で完成形やその理念の共有・調整をはかっていた。小様は、平面図と模型のいずれをも指す場合があり、のちに平面図だけで様式は整理されコレクションされる制度が整っていくものの、建国期においては未だ模型であることが、正確さの獲得や意思の疎通において肝要であった。重要なことは、模型を扱う制作過程に関わっていた画家達が山水画をも描いていたことである。眼前に聳える建築物や山といった大きすぎる対象を如何に把握し描き得るのか、さらにはモチーフとして自在に扱えるまでになるのか。小様によって掌上にものの四面を得られる視界や認識が、画家と為政者に共有され、このことは北宋前期の山水画において三次元的な空間表現が飛躍的に発展し、かつ屋木といったモチーフを矛盾なく山水空間に描き込むことができた背景の一因と考えられ得る。画史に散見される用語でありながら見過ごされてきた小様の機能を、描く側と描かせる側から考察することで、東洋のルネサンスとも評されるいわば文理融合的な技術革新の時代精神が、画家と支援者であった有力な官僚たちに共有され、時代の視覚となって北宋前期の山水画につよく反映されていた可能性を提示したい。1、屋木門画家の活躍と小様の役割はじめに、北宋前期において山水画が担わされた役割を制作当時の文脈から考えるうえで、なぜ屋木門の画家が重要であるのか。屋木門とは、劉道醇による『五代名画補遺』と『聖朝名画評』に登場する新興の絵画ジャンルであり(注2)、合わせて9人の画家が記載される。このうちに、山水画史における様式発展に多大な貢献があったと考えられる郭忠恕や燕文貴といった画家が含まれている。屋木とは、「閘口盤車図巻」〔図1〕の画中に揃えられているように、建築、船、盤車、水磨など、物流や新しい動力源を木造の構造物としてつくったものの汎称である。筆者は、第三代真宗朝(在位997~1022)に活躍した屋木門画家たちの制作背景に、玉清昭応宮という場で、修昭応宮使として全体を統括していたのちの宰相丁謂(966― 333 ―― 333 ―
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