鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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3、山水画史における「以大観小」法と山の小様北宋後期の科学者である沈括(1031~1095)は、描く際の視線について北宋前期と後期の山水画における大きな転換点をはじめて説明している。「又李成画山上亭館及楼塔之類皆仰画飛簷。其説、以謂自下望上、如人平地望塔簷間、見其榱桷。此論非也。大都、山水之法蓋以大観小、如人観仮山耳。若同真山之法、以下望上只合見一重山。豈可重重悉見。(中略) 似此如何成画?李君蓋不知以大観小之法、其間折高、折遠、自有妙理、豈在掀屋角也。」 (書き下し)「又た李成、山上亭館及び楼塔の類を画くに皆仰ぎて飛簷を画く。其の説、以謂へらく下より上を望むは、人の平地より塔簷の間を望み、其の榱桷を見るが如し。此の論非なり。大都、山水の法は蓋し大を以て小を観、人の仮山を観るが如きのみ。若し真山の法に同じく下より以て上を望めば、只だ合せて一重山を見るのみ。豈に重重悉く見るべけんや。(中略)此が似きは如何にして画を成さん。李君蓋し大を以て小を観るの法を知らず、其の間高きを折(くじ)き、遠きを折くは、自ら妙理有り、豈に屋角を掀(あ)ぐるに在らんや。」李成の画いた山の上の亭館や楼塔は、すべて反り返った軒下を下から見上げて描いてある。沈括は、これを李成が大きなものを小さく見せる方法を知らないからだと否定する。李成は小さい人間が眼前の大きな対象を下から見たように描くが、沈括によれば、山水の描き方は架空でもいいから「大を以て小を見る法」、つまり假山(大きなものを小さくしたもの)のようにするべきであるという。建築物や山といった、現実の大きすぎる対象を小さくしたようなものを見ればいいという意見はまさに、五代・北宋初を生きた李成と沈括との間に活躍した、屋木門画家たちが小様によって得た視界の変化をあらわす。こうした状況は現存作品にも確認でき、唐代の懿徳太子墓の墓道北壁〔図4〕や、北宋初の葉茂台遼墓出土山水図〔図5〕の建築表現は、軒先の垂木が下から仰ぎ見たかたちで描かれ不自然な空間を呈する。これに対し、上述してきた玉清昭応宮造営に携わる屋木門画家の一人である燕文貴の頃には、やや俯瞰的な視界を安定的に獲得し、全体性をもって構造物が把握され、山水景観のなかに整然と組み込まれている〔図6〕(注9)。郭熙による「花を描くを学ぶ者は、一株の花を― 339 ―― 339 ―宋沈括『夢渓筆談』巻十七 書画

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