⒁ 「四年七月戊子、詔翰林遣画工分詣諸路、図上山川形勢、地里遠近、納枢密院。毎発兵屯戍移徙租賦以備検閲。元年十月甲午、令張斉賢、丁謂、具青、淄、斉、鄆、濮等州山河道路形勢、画図以聞。」『玉海』巻十四⑼ 画面分析は注⑶に詳述。⑽ 「学画花者、以一株花置深坑中、臨其上而瞰之、則花之四面得矣。学画竹者、取一枝竹、因月夜照其影於素壁上、則竹之真形出矣。学画山水者何以異此。蓋身即山川而取之、則山水之意度見矣。」郭熙『林泉高致』⑾ 「大体源及巨然画筆、皆宜遠観。其用筆甚草草、近視之幾不類物象、遠観則景物粲然、幽情遠思、⑿ 「予奉使按辺、始為木図、写其山川道路。其初遍履山川、旋以麺糊木屑写其形勢於木案上。(中略)至官所、則以木刻上之。上召輔臣同観。乃詔辺州皆為木図、蔵於内府。」『夢渓筆談』巻二五 雑誌二。梅原郁訳注『夢溪筆談』1~3、平凡社、1978~1987を参照。⒀ 陳正祥「宋代的地図」『中国地図学史』商務印書館香港分館、1979。そのほか、盧良志「立体地形模型図与城市図」「測量技術的成就」『中国地図学史』測絵出版社、1984。青山定雄「唐宋時代の地誌地図」『唐宋時代の交通と地誌地図の研究』吉川弘文館、1969を参照。また、宋代の地図に画工による彩色があったことが指摘されている。大澤顕浩「唐宋時代の地図の彩色について─旧中国の地図作成の一仮説」学習院大学外国語教育研究センター、2023。⒂ 「淳化四年、令諸州所上「閏年図」自今再閏一造。又令画工集諸州図、用絹百匹合而画之、為如睹異境。」『夢渓筆談』巻十七 書画天下之図、蔵秘閣。」『宋会要輯稿』職官14-20兵部 職方― 342 ―― 342 ―
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