鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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㉜ 東松照明の写真と戦後前衛美術に関する研究研 究 者: ロンドン大学東洋アフリカ研究学院 芸術学部 博士課程本研究では、1960年代に活躍した日本の芸術家たちが、戦後経験、インターメディア、裸体などを通じて表現した前衛的な側面に焦点を当て、非伝統的な人間性と社会の潜在的動向を探求した過程を検証する。特に、写真家・東松照明(1930-2012)の事例を通じて、前衛美術への積極的な関与とその影響を明らかにすることを目的とする。東松の1960年代の作品は、原爆、社会運動、沖縄といった三つのカテゴリーに分類されているが、そうした彼のアプローチが戦後の前衛美術家たちとの関わりを通じて、当時の美術界にどのような影響を与えたのかを考察する。本稿では、1960年代に出版の写真雑誌に掲載された東松の作品を分析し、当時の展覧会図録や美術批評を検証する。方法としては、西洋美術界との共鳴を探るために、東松が参加した「ネオ・ダダイズム・オーガナイザー」展(1960)と「空間から環境へ」展(1966)を中心に、その批評などの言説を考察しつつ、西洋と日本の前衛美術展への関わりを学際的に探究する(注1)。さらに、福岡美術館の「ネオ・ダダの写真 流動する美術 III」(1993)、森美術館の「メタボリズムの未来都市展」(2011)、ニューヨーク近代美術館の「TOKYO 1955-1970:新しい前衛」(2012)を参照し、1960年代の前衛運動においての東松の活動を明らかにする。東松自身は前衛美術展に直接関与することは少なかったものの、振付家・土方巽(1928-1986)や映画監督・大島渚(1932-2013)とのコラボレーションを通じて、前衛運動への深い親和性を示した。本研究では、身体表現を捉えた彼の写真作品に焦点を当て、それらがネオ・ダダやゼロ次元のような前衛美術集団に特徴的な反体制的精神を表現するものとして、前衛精神を反映し、国家権力への抵抗として機能しているという、まだ十分に解明されていない東松の前衛美術への貢献とその文化的意義を明らかにすることを試みる。東松照明の戦後体験1930年に愛知県名古屋市東区で生まれた東松は、米軍基地に隣接する地域で育った。彼は自身の体験を、「半世紀を振り返って思うに、私にとって最大のカルチャーショックは、この敗戦=米軍による占領である」と語っている(注2)。中原淳行によると、基地の周辺は外国的な風景を有し、虚無的な雰囲気に満ちており、従来の時― 346 ―― 346 ―  黄   士 誠

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