鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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〈占領〉シリーズ間や空間から切り離されているかのように見えた(注3)。東松はこれらの地域を、日常生活を一貫性や文脈の連続性を欠く断片的な形で描写しており、その様子について次のように述べている。日本の戦後史を一口で特長づけよ、と問われれば、ぼくはためらいなくアメリカニゼーションと答えるだろう。(略)以来ぼくは、『占領』にこだわりをもちつづけている。ぼくの中で大きく比重を占めるアメリカ、運命的な出会いとしか言いようのない不可視の国家、軍隊という具体的なかたちで立ち現れた異国、米軍による『占領』からぼくは目を外らすわけにはいかないのだ。(注4)東松は写真集団VIVO(1959-1961)の創設メンバーの一人として、「アレ、ブレ、ボケ」という独特の視覚的表現に大きな貢献をした(注5)。東松の〈占領〉シリーズ、また〈チューインガムとチョコレート〉と呼ばれるが、これらの技法を初めて採用した作品でもある(注6)。1950年代後半、東松はアメリカ軍の兵士およびその文化的影響を探求し始め、1959年4月号の『朝日カメラ』に〈基地〉というタイトルでこれらをテーマとした作品を初めて発表した。「基地〈ヨコスカ〉」に掲載された七枚の写真では、錆びたトタンの建物が並び英語の看板が掲げられた通りの光景と、日本人が経営する土産物店を訪れる水兵とを対比させる場面が設定され、「文化が きのこ雲に乗って 海のむこうからやって来た 人は〈進駐〉と呼ぶ」という一文も添えられている〔図1〕(注7)。東松はこの視覚的なナラティブを、原爆に象徴される絶大な軍事力を背景にしたアメリカの裕福に対する複雑で歪んだ魅力を強調することで締めくくっている。また『中央公論』の「IWANAKI 岩国 IWAKUNI」(1960年4月号)の冒頭では、ページに散らばる黒い斑点が圧倒的な力を呈し、意図的でありながらランダムな装飾となっている。これらの斑点は、「とつぜん 与えられた 奇妙な現実 それは〈占領〉を呼ぶ」という角ばった文字で印刷された言葉と対比し、テキスト要素と自発的なインクの飛び散りとの二重性を生み出している〔図2〕(注8)。この内面的な葛藤を「占領」と感じさせることで、日本におけるアメリカからの多様な影響を描写しているといえる。― 347 ―― 347 ―

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