東松とネオ・ダダの交差点1960年6月、東松は〈占領〉シリーズ以来一貫したテーマの探求を続け、『カメラ毎日』に〈檻〉を発表した。この作品では、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの著名な人物、豊島壮六(1939-)、風倉匠(1936-2007)、荒川修作(1936-2010)、篠原有司男(1932-)をモデルとして起用し、日本の反芸術運動に浸透する「占領文化」の本質を捉えている(注9)。〈占領〉シリーズの延長線として、東松はかつて米軍の管理下にあった場所を含む多様な東京のロケ地で撮影を行った(注10)。タイトルは、日本の当時の社会状況を反映し、動物園の檻を連想させると批評された(注11)。あるシーンでは、風倉が有刺鉄線に絡まり、周囲の雑草に溶け込むかのように隠れ、「立入禁止」や「侵入者は逮捕されます」と書かれた看板の警告に抵抗する印象的な姿が映されている〔図3〕(注12)。〈檻〉は〈占領〉シリーズに見られる美学を典型とし、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの第一回展覧会の招待状から引用された「我々が虐殺をまぬがれる唯一の手段は殺戮者にまわることだ」という篠原の言葉を刻み込んでいる。1964年の生殖をいかに夢想しようとも一発のアトムが気軽に解決してくれるようにピカソの闘牛もすでにひき殺された野良猫の血しぶきほどに、我我の心を動かせない。真摯な芸術作品を踏みつぶしていく20.6世紀の真赤にのぼせあがった地球に登場して我々が虐殺をまぬがれる唯一の手段は殺戮者にまわることだ〔図4〕。続いて設定は、豊島が喫煙エリアの前に立ち、周囲の歩行者が背景に消えていくような場面に移行する〔図5〕。この視覚的技法は、彼の際立った存在感を強調し、「虐殺される」から「殺戮者になる」への変容過程を象徴している。これはまず、風倉が日本とアメリカの物理的な障壁を越えたことを反映しており、アメリカに渡った多くのネオ・ダダアーティストたちの軌跡と並行している。また、アメリカに対する彼らの複雑で個人的な愛情を捉え、解放と屈辱の間に挟まれた東松の体験を共有しているかのようなインスピレーションと挑戦の両方を表すアメリカとの微妙な関係を体現している。ネオ・ダダ1960年代初頭、吉村益信(1932-2011)、篠原、荒川、赤瀬川原平(1937-2014)ら― 348 ―― 348 ―
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