鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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〈No. 541〉とハイレッド・センターし、24番目の位置が展示の識別子となっている〔図12〕。この空間において東松は、床面の中央に黒いペンキで足形を刻み込み、四方の白塗りの部屋と対比させた。「白いイベント」と名付けられたこのインスタレーションは、相互的な演出空間となり、東松は入室する各来場者を個別に撮影した。東野によれば、「演出者が演技者に、演技者は演出者となる変換の妙を味わったからに違いありません」と述べており、見る者が見られる者になり、その逆もまた然りという役割の逆転を示し、演出者と演技者の入れ替わりという微妙でありながら重要な役割交換が強調されている(注25)。「空間から環境へ」という展覧会は、環境デザインに対する批判に直面し、針生一郎(1925-2010)や黒田雷児が指摘するように、管理された商業空間内での環境の清潔化や人工的な再現が、現実世界の予測不可能性や豊かな相互作用に欠け、観客に効果的に響かないことを浮き彫りにした(注26)。とはいえ、これらの芸術環境はその動態に焦点を当て、主観的な経験や制度的構造化、人間の感覚の拡張とテクノロジーの内部および外部の統合といった多面的な問題として再定義している。サスは、環境を芸術に取り込むことに重点を置くことで、社会的および制度的ネットワークとの新たな関与が生まれ、それが一種のメカニズムとして見なされるようになったと言及している(注27)。すなわち、インターメディアの概念の中心となったこの視点の移行は、これらのネットワークをより広範な装置として理解する方向へ向かい、個人を取り囲むより大きなシステムの新しい層を明らかにし、定義し始め、感性的な空間やメディアを探求するための独自の入り口を提供した。〈No. 24〉と同様に、1971年2月6日に起きたイベント〈No. 541〉も特別なタイトルは持たない。541の数字は、飯田橋近くにある廃墟ホテルの部屋番号を指している。このプライベートイベントには、ゼロ次元の加藤好弘(1936-2018)や東松を含む8人の演出者と2人の記録者が参加した。彼らは部屋に閉じこもり、24時間の極めて日常的な時を過ごす体験をした。ここに集まった10人は、同じグループのメンバーでもなければ、全員が面識があるわけでもなく、しかしながらそれぞれがこの出来事が最終的に季刊誌『写真映像』に掲載されることを知っていたという〔図13〕(注28)。〈No. 541〉はホテルの一室を使って公共空間に介入する手法を示しているが、同様のアプローチは1964年1月に帝国ホテルの340号室で開催された前衛美術集団ハイレッド・センターの〈シェルター・プラン〉にも見られ、これらは公共および芸術的空間とのより早い時期の関わりを示している〔図14〕。このイベントは、過剰な書類作成と個― 352 ―― 352 ―

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