鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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1950年代後半~1960年代前半:「人間の壁」から「青春のお通り」まで「人間の壁」から「青春のお通り」までの挿絵下絵には、つやのある紙にインクで描かれているものと、トレーシングペーパーのような薄い紙に鉛筆で描かれたものが混在し始める。また「五木哀歌」の下絵では、風景や人物の隣に男性の頭部などが脈絡なく試し描きされており、のびのびとした気持ちで取り組んだ下絵であることが想像できる。つやのある紙にインクで描かれている下絵は、構図や人物のポーズを検討する際に一から別の紙に描き直している例〔図6、7〕が見られたのに対して、トレーシングペーパー様の紙が用いられている下絵では、全体を描いた図と、人物のみを抽出して詳細にポーズや服装を描き込んだ余白の大きな図とが存在することが確認できた〔図8、9〕。このように、用いる画材の変化に合わせて下絵の内容にも変化が生じている。トレーシングペーパーの使用については、画家自身が1980年のインタビューの中で言及している。曰く、1970年に手掛けた口語聖書の挿絵において、小磯はトレーシングペーパーにまず下絵を描き、その上にまたトレーシングペーパーを置いて、下から明かりで透過させながら悪い部分を修正していく、という手法を取ったという(注5)。その聖書挿絵の制作より10年以上も前から、小説挿絵においてもトレーシングペーパー様の薄い紙を使用し、おそらく聖書挿絵と同様の手法を用いて制作を行っていたということが、今回の調査で初めて明らかになった(注6)。この時期に制作された挿絵の中で注目すべきは「古都」である。「古都」は著者の川端康成がノーベル文学賞を受賞するにあたって、「雪国」などとともに大きな役割を果たした代表作の一つである。単行本化された際のあとがきで、川端は本作の挿絵について以下のように述懐していた。「私の原稿が終始おくれたために、新聞社にひとかたでない迷惑をかけたが、小磯氏はほとんど全囘私の原稿を見ることなく描きつづけて下さつたやうである」(注7)通常、小説挿絵の制作は画家が小説本文を読み込んだ上で行われるが、「古都」において小磯は、ほとんど全ての回で原稿を見ることなく挿絵を描いたという。このような背景もあってか、第103回などいくつかの挿絵においては、小説本文との整合性が些か取れない描写が存在する。しかし全体としては、繊細で美しい小説の作品世界を支えた挿絵であるとして高く評価されている。「古都」の下絵からは、小磯が人物の佇まいにひときわこだわって挿絵を制作して― 24 ―― 24 ―

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