鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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1960年代後半:「適齢期」から「積木の箱」までいたことがわかる。例として、第68回の下絵2点〔図10、11〕を挙げたい。いずれも右側の女性の顔はうつむいた状態で描かれているが、実際に掲載された挿絵では女性は顔を上げて、夕立の降る空を見据えた姿で描かれた。これは、〔図10〕の画面右側の余白に描かれている、顔を上げた姿の下絵を最終的に採用したものとみられる。この第68回は、生き別れの双子の姉妹・千重子と苗子が杉林の中で突然の夕立と雷に見舞われる場面で、おびえる千重子(左)とは対照的に、苗子(右)は雷に怯えることなく千重子を励ます。この苗子のたくましさは、うつむいて千重子と寄り添い合うよりも、空をじっと見上げている姿においてより的確に表現されている。このように、小磯は人物の佇まいを丹念に検討し描写し、その性格や心情までもを表現している。また、この時期の挿絵の中で異彩を放っているのが「ほおじろあっちゃん」である。「ほおじろあっちゃん」は今回下絵が発見された小説の中では唯一、子供向けの童話として書かれた物語で、月刊雑誌「たのしい一年生」及び「たのしい二年生」に連載された。雑誌に掲載された挿絵の一部を収録した単行本も発行されている。「ほおじろあっちゃん」の挿絵の一番の特徴は、デフォルメされたユーモアたっぷりの動物たちが登場する点である。主人公の少年は夢の中で小鳥の国を旅するのだが、その中に登場するほおじろたちは衣服を身にまとい、二本足で歩く。また、悪者として登場する猫も、単純化されたどこか愛嬌のある姿で描かれている〔図12〕。小磯は先述の聖書挿絵についてのインタビューの中で、「私が写生する時は、いつも目の前に物があるのですが、想像で描いたのは後にも先にもこの作品だけでした。」(注8)と語っているが、現実ではありえない姿の動物たちが登場する本作の挿絵においても、小磯は想像力を十分に働かせながら取り組んだものと思われる。挿絵ならではのユーモラスな表現は、「青春のお通り」にも見られる。第31回の下絵〔図13、14〕では、主人公が後ろから母を驚かそうとする場面が描かれている。そのユーモラスなポーズからは、主人公の快活さや茶目っ気が伝わってくる。清楚で上品な女性像を得意とした小磯の油彩作品には見られない描写であり、挿絵においては小説の作風やキャラクター像に合わせて多彩な表現を行っていたことが分かる。小磯の挿絵業全体における終盤にあたるのがこの時期である。今回発見された下絵のうちの約半数は、この時期に制作されたものであった。下絵はすべて、トレーシングペーパー様の薄い紙に鉛筆で描かれている。― 25 ―― 25 ―

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