た〔表1、図1、2〕。特に藤田美術館には「乙部仕立」が今も完璧な状態で残る5件がまとまって収蔵されていた〔図3〕。並行し、関連作品の特別観覧を上掲機関の一部および東京藝術大学大学美術館、奈良国立博物館、霊雲寺(出雲市西林木町)、小泉八雲旧居(松江市北堀町)、月照寺(松江歴史館寄託)にて行い、①乙部家放出品(「御道具帳」に記載せず手放したもの)2件4幅、②可時と同時代の松江藩家老旧蔵品1件3幅、③木挽町狩野家門弟の松江藩御抱絵師による古画模本15幅、および④木挽町狩野家当主の作品2件4幅の調査撮影を実施した。また関連史資料について、松平直亮旧蔵鷹書(宮内庁書陵部蔵)、酒井家文庫(小浜市立図書館蔵)、米村家文書(松江市蔵)、乙部家文書、三谷家文書、根岸家文書(個人蔵、松江歴史館寄託)、大橋家文書、柴田家文書、絲原家文書(個人蔵)、松平家文書(月照寺蔵)、出雲国松江松平家文書(国文学研究資料館蔵)、霊雲寺文書の調査を行った。紙数の制約により調査成果すべてを紹介することはできないが、本稿では可時が蒐集を開始する直前の乙部家の状況を確認し、これと対照しつつ可時がとった唐絵蒐集の新たな方法について報告したい。1.可時以前の道具蒐集状況(1)乙部家九代可備の道具帳今回の調査で、乙部家文書11-8(題箋欠、目録上の名称は「道具帳」)〔図4〕が、可時の唐絵蒐集開始直前の乙部家道具帳にあたることが確認できた。四目和綴の変形竪帳(縦17.9×横15.0cm)で、柿渋を塗布した紙を台紙として白い紙片(縦14.8×横2.8cm)が半葉5枚ずつ貼られる。紙片には分類名もしくは作品情報が1枚につき1項目墨書され、現状で計448件を数える。筆跡は少なくとも2種ある。未記入の紙片や剥がれた箇所も散見され、草稿段階である可能性も高いが、清書版は今のところ見つかっていない。紙片の注記には文化~天保期の年紀があり、これは可時の父である乙部家九代可よし備とも(寛政2年~弘化4年/1790-1847、家老出仕:文化3年~弘化元年/1806-44)の代にあたる。「可備幼少之時ニテ…」という文言もあり、本史料は弘化元年9月の可備から可時への代替わりを前に作成された道具引継目録と見做せる。上端に「極々上々」~「下」の格付、中央に名称・形状・作者名等、余白にその他の注(用途、入手や放出の経緯、購入代金等)が記される。注の分量は粗密があり一貫性を欠くもの― 373 ―― 373 ―
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