鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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の、こうした生々しい情報は11-7「御道具帳」にはないため貴重である。本史料と「御道具帳」の共通点として、「画掛物」を筆頭とすること、個々に格付がなされていることが指摘できる。しかし、「唐画」はわずか7件で、うち格付が「極上々」の「蒲萄絵立物 中渲自画自讃」と「極上」の「梅絵立物 聞極筆」の2件が「御道具帳」に引き継がれるが、いずれも格付は「下中」と低くなり、可時にとって特筆すべき作品だったとは言い難い。また、「極」に関する注記のうち、木挽町狩野家への言及は2件だけで、道具商が極を行ったもの、鑑定者名を記さないものが多い。本史料と「御道具帳」の分類毎の件数の増減を比較したのが〔表2〕である。香炉以下の書院飾り、および茶器の件数はそれほど大きく変わっていないのに対し、和画、墨蹟、古筆手鑑類は半減している(ただし和画の内容は大きく変わる)(注2)。そして対照的に、唐絵のみが165件へと激増したことが分かる。(2)可備の道具蒐集の目的本史料から道具の用途にあたる記述を拾うと、未記載も多いものの、「御成」が84件と突出しており、次に「茶」10件(うち「茶懸物」4件)、あとは「御国目附衆見候節上江御用立(幕府が派遣した国目附を松江藩がもてなす場への貸出)」が2件である。ここで言う「御成」とは、国元の藩士宅への藩主訪問のことで、その際に屋敷内の飾り等に使用したことを意味する。可備在世中に実際に行われた乙部宅への藩主御成は、『松江藩列士録』によれば七代藩主松平治郷(不昧、大圓庵)3回、八代斉恒7回、九代斉貴8回の計18回が確認できる(注3)。一方、「茶」は茶席での使用を意味する。もっともこの10件は墨蹟の注記にしか登場しない。つまり「茶」とあるのはすべて「茶懸物」の略記であろう。当然のことながら、茶器の用途は記載がなくともすべて「茶」で、件数や注記の偏りから見ても可備の関心は茶器にあったと考えられる。大名茶人として知られた治郷は、文化3年(1806)の致仕後、在国時の御成で「御茶事」を度々行っており、乙部宅でも文化13年12月6日に治郷の「御茶事」の記録がある(注4)。本史料にある「大圓庵様御隠居始而之御成之節遣」といった注はこうした機会を指すのだろう。治郷に関係した道具は後の代の藩主に比べ別格の名誉が伴った様子がうかがわれる。また、参勤交代を行わない定府の大名だった母里藩主(松江藩支藩)「松志摩守」からの拝領品が2件記され、うち「時雨茶杓」に「先年江戸御屋布〔敷〕へ御茶ニ罷出候節拝領」とある。可備は江戸藩邸でも大名の茶会に同席する機会のあったことが分かる。― 374 ―― 374 ―

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