鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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A.乙部家に伝世(「昔より有り」「先代より有り」等)B. 三都の道具商(墨屋助三郎、本屋了賀〔我ヵ〕、伊勢屋権平、伏見屋甚右衛門、谷松屋宗長、大和屋源兵衛、伊勢屋小市、竹屋)、地元の道具商(御国道具屋、佐田屋安右衛門)より調達D. 藩医(岡本瑞庵、北尾玄昌、北尾見輪、栗原春斎)、藩主側近(布施源兵衛、E. 松江藩領の社家(北嶋国造)、豪商(伊予屋、森脇屋嘉右衛門、虎屋、油屋孫(3)可備の道具蒐集ネットワーク(1)可時の唐絵蒐集と木挽町狩野家「添状控」続いて入手方法や出所に関する記述を拾うと、多い順に概ね以下の通りとなる。これらが可備の代の道具蒐集ネットワークと言えるだろう(現段階で詳細不明の人名は除く)。C. 松江藩上級藩士(今村修礼、三谷権大夫、仙石猪右衛門、有沢織部、乙部次郎兵衛、黒川弥悦、松原八郎大夫、氏家、太田、葛西、村松、朝日、柳多)の仲介・譲渡・放出尾崎仙次、森本文太)、藩御抱絵師(竹内君之助、西山其太)の仲介・譲渡一郎、新屋松敬、稲葉屋助左衛門)との交換・譲渡・放出F. 拝領(「御部屋より御出」「松志摩守様」「大圓庵様」「殿様」)このうちBの三都の道具商の名は、購入先としてだけでなく「目利者」として繰り返し言及され、前述の通り極も依頼している。そしてこの顔触れは、治郷のいわゆる「雲州蔵帳」記載品の購入先とほぼ重なり(注5)、中には治郷が文化年間に催した茶会や、享和3年(1803)、文化13年(1816)に行った巡郷に同行した者もいる(注6)。また、Dは江戸の大崎下屋敷や松江の楽山御立山において、あるいは巡郷に際して治郷に近侍した藩関係者である。以上から、可備が出仕した1800年代後半~1840年代前半において、道具蒐集の目的はほぼ「御成」と「茶」への対応であり、そこには治郷が築き上げた道具観とネットワークの直接的な影響、文政元年(1818)の治郷没後も松江藩士に受け継がれた憧憬を色濃く読み取ることができる。2.可時の唐絵コレクション形成以上見てきた乙部家九代可備の道具蒐集のあり方は、「大名茶人松平不昧」と「雲州名物」をめぐる数々の伝説に耳馴染んだ我々にとって、ひとつのローカルなエピソードの追加に過ぎないとも言える。だが、乙部家は次の世代の可時に至って突如、― 375 ―― 375 ―

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