今回最も多くの下絵が確認された小説が「適齢期」である。「適齢期」では、1つの挿絵に対して複数の下絵を制作している例が目立った。中でも第30回の下絵では、登場人物の女性が床に横座りしている様子が4点に渡って下描きされている〔図15~18〕。大まかな全体像をとらえた線の多い図がおそらく一番初めに描かれたもので、その後、下絵を重ねるごとに迷いのないシンプルな線に収束していく過程が確認できる。同様の例は「晩秋」にも見られる。「晩秋」の第6回では、1つの挿絵に対して5点の下絵が制作されている〔図19~23〕。うち3点は女性のみを抜き出して描いているほか、〔図20〕ではひじ置きに置かれた男性(左)の手や銚子を持つ女性(右)の手のみが空白部分に繰り返し下描きされており、文字通り爪の先まで熟考されていたことが伝わってくる。この細やかな下絵を見るに、「晩秋」は週刊連載であったため、新聞小説挿絵よりは余裕をもって取り組めたのだろうと推測される。ただ、「晩秋」は小磯のそれまでの雑誌連載小説の挿絵と比較しても、下絵の時点から人物の顔の細部までよく描き込まれていたり、陰影がつけられていたりなど、人物描写の繊細さという点で突出した熱意が感じられる作品である。小磯の新聞小説挿絵として最後の作となったのが「積木の箱」である。「積木の箱」の下絵では、実際に掲載された挿絵と比較して大胆に構図が変更されているものが多い。例えば第39回では、主人公の姉のみが描かれている下絵〔図24〕が制作されたが、実際に掲載された挿絵では、ベッドに寝転んでいる主人公と腰かける姉の姿が俯瞰で捉えられている。この構図変更は、場面の状況をより分かりやすく伝えるために行われたものと考えられる。また第43回では、下絵と実際に掲載された挿絵で、取り上げられている場面そのものが異なっている。実際に掲載された挿絵では、部屋の中で音楽を聴く姉2人が描かれているが、下絵ではその後の場面である、姉の一人が机の前に座る主人公に近寄り、肩に触れる場面が描かれている〔図25〕。これらの試行錯誤の痕跡は、当時すでに大家としての地位を確立していた小磯の、挿絵制作への明確な意欲を感じさせる。下絵全体を通観して「白い魔魚」から「積木の箱」までの挿絵下絵について、いくつかの作例を取り上げながら、その制作プロセスや試行錯誤の痕跡を辿ってきた。ここからは、今回発見― 26 ―― 26 ―
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