鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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1.「常総の内海」南岸の諸像1-1 地域の概要:水辺の世界と行基伝承「常総の内海」は中世史家の市村高男が提唱した用語であり(注5)、近世の利根川東遷以前に関東東部に広がっていた社会経済活動の場としての広大な湖沼空間や、筑波山・鹿島社・香取社を核とする宗教世界を包括する歴史的・空間的概念である。代以前に起源をもつことは古く鶴岡静夫が指摘しており(注4)、この点に札所およびその関連寺院の造像において素地仕上げが選択される必然性が見出せる。これらの点を踏まえながら、本稿では中世の常陸・下総に広がっていた「常総の内海」南岸における素地仕上げの観音像2例と、その北岸にあって山そのものが坂東の札所となっている八溝山・筑波山周辺地域の3例、さらに従来からその存在を注目されつつも本格的な調査がなされてこなかった八溝山日輪寺本尊像を加えた計6例について、実査の結果にもとづき彫刻史上の定位を行う。近世以降の度重なる治水事業によって水辺の領域は大幅に縮小したが、現在でも利根川や霞ヶ浦を中心に大小の河川と湖水が輻輳し、日本水郷とよばれる独特の景観を形成している。中世の内海は、現在の印旛沼、手賀沼に相当する水域によって南西を縁取られ、その西を流れる渡良瀬川水系の太日川(江戸川の原型)の下流において、もうひとつの内海世界である「武総の内海」(東京湾)に接続していた。二つの内海世界の接点に位置する坂東二十九番千葉寺(千葉県千葉市)では、行基が水中の蓮華から霊仏を感得したとの縁起を伝える(注6)。行基伝承は日本列島の各地に遺るが、下総には千葉寺に加えて松虫寺(千葉県印西市)、泉光寺(茨城県利根町)など千葉寺に類似した行基水中霊像感得譚を伝承する寺院が集中する。内海世界の自然環境が水にまつわる伝承の流布を容易にしたことに加え、千葉寺をめぐる説話伝承の管理者であった坂東平氏の千葉一族が中世を通して内海南岸に割拠していたことがその背景とみられよう。ことに、手賀沼周辺に広がっていた伊勢神宮所領である相馬御厨の管理をめぐる院政期以降の諸勢力の角逐は、中央(京・鎌倉)の政治情勢が当地に直結する状況を生み、それに伴って文化的諸要素においても中央からの流入が加速したことが想定される。本節ではこうした背景を踏まえ、前述の泉光寺および印旛沼沿岸の吉祥寺(千葉県酒々井町)に伝来する檀像風観音像の実査にもとづく所見を記し、その歴史的背景を考察する。― 386 ―― 386 ―

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