鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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[地域分布][伝来]を統合することで、全道に点在する作例の全体像の把握に近づくことができる。また、近年の成果として重要なのは寺島展人による石狩市内の仏像、仏画の調査報告である。報告された作例は前述の3件の文献には取り上げられていないものの、その多くが江戸時代の作と評されており、北海道内に多くの未調査の近世の仏像、仏画が存在することを示唆する。厚岸町・国泰寺の仏像、仏画については、筆者が以前担当した展覧会『祈りの造形 地域の記憶 厚岸・国泰寺の200年』の図録を参照した。以下、〔表1〕に基づき、作例の地域分布、伝来、形態について検討を加える。各文献から集計できた全121件の作例の現在の所在地は、道央は空知7件、石狩46件、後志12件、胆振17件、日高14件の計96件、道北は上川3件、宗谷1件の計4件、道東はオホーツク2件、十勝4件、釧路15件の計21件であり、道央に所在する作例が明らかに多い。東蝦夷地と西蝦夷地には近世後期に計46ヵ寺の寺院が建立された(注4)。うち40ヵ寺が道央(後志24ヵ寺、石狩8ヵ寺、胆振5ヵ寺、日高3ヵ寺)に所在し、ほか道北5ヵ寺(留萌4ヵ寺、オホーツク1ヵ寺)、道東1ヵ寺(釧路)である。本州から多くの漁民が移住した後志には、とりわけ多くの寺院が建立されている。寺島により石狩市内のみ調査が進んでいることを考慮する必要はあるが、〔表1〕の地域分布と近世後期における寺院の建立件数は概ね相関関係にある。[1]には38件、[2]には23件の作例が該当した。[2]には檀家の発願により寺院に寄進された作例も含めた。[3]に該当する作例は無かったが、像をめぐって金銭の取り交わしが全く無かったとは断言できない。[1]のうち、明治期以降に本山から与えられたと伝わる作例は19件を占める。寺院の北海道への進出は近代の北海道開拓と歩みを共にして進められ、佐々木馨によると明治初年から同26年の間に、北海道内に新たに建立した91ヵ寺のうち48ヵ寺が中央教団を本寺としている(注5)。〔表1〕で取り上げた作例には制作年代まで判断できないものもあるが、各宗派が北海道への進出に意欲的であったことを鑑みると、本寺の権威を示すために、既に価値の認められている像が選ばれたことも少なくないだろう(注6)。― 412 ―― 412 ―

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