《賽の河原図》〔図2〕 上ノ国町・照光寺蔵 一幅 嘉永3年(1850)以前《十王図》右幅:〔図3〕、左幅:〔図4〕 上ノ国町・照光寺蔵 二幅 嘉永3年(1850)以前なって日高地方にもたらされた貴重な例と位置づけ、えりも牧場にもたらされる以前の来歴や、日高地方における馬頭観音信仰の歴史の調査研究を続けていきたい。紙本着色、軸装。画面の上半分では、踏割蓮台の上に立つ地蔵菩薩が飛雲に乗り賽の河原へ降下するさまを描く。地蔵菩薩は左手に宝珠を持ち腹前に据え、右手に執った錫杖の先端へと視線を注ぐ。錫杖の先端は賽の河原の地面に接しており、一人の稚児が両手と両足で錫杖にしがみつき、地蔵菩薩の方へ登ろうとする。地蔵菩薩の胸元には一人の稚児が収まり、合掌する。画面の下半分を占める賽の河原には27人の稚児、3体の獄卒が描かれる。稚児のうち3人は裸の赤子、ほかは腹掛けを身につけた幼児の姿である。獄卒は棍棒を手に執り、稚児に襲いかかろうとする。その近くにいる稚児らは獄卒から逃げる、手で目を覆う、獄卒に向かって合掌するなど、獄卒を恐れる様子を見せるが、獄卒から離れて描かれる稚児は、太鼓や笛を奏でる、別の稚児の背後に回りこみ目隠しをして遊ぶ、幼児が赤子を肩車するなどして戯れる。裏には「勤譽德行道易信士/香譽妙薫信女/先祖代々」「施主/(花押)/初右衛門/□七/[ ]/[ ]/[ ]」「阿弥陁堂什觀/大譽一入淨贒法得(花押)」「先祖代々」「嘉永三戌年/七月廿八日」「塩坎村/惣連中/應知」と墨書があり、最上部に花押を記す。紙本着色、軸装。両幅とも界線で五段に区切り、各段に十王の裁きを描くほか、地獄の責苦、人道以外の六道、極楽往生の場面を織り交ぜる。十王の頭上の界線上の短冊に十王の名を示す。右幅は上段から順に「第五閻魔王」「第四五官王」「第三宗帝王」「第二初江王」「第一秦廣王」、左幅は上段から順に「第六變成王」「第七大山王」「第八平等王」「第九都市王」「第十五道轉輪大王」と記されおり、右幅と左幅を並べることで、全体として円環の構図を呈する。以下、十王の順に各段の内容を整理する。【右幅第五段(秦広王)】画面向かって右の王庁に秦広王と三名の冥官が坐す。王庁の前では、地面に坐した亡者らが秦広王に向かって伏して拝む。その背後では棍棒を持った獄卒が二名の亡者の腕を掴む。画面中央上部には三途の川、白い衣が掛けられた衣領樹、奪衣婆に衣服を差し出す亡者を描く。画面左では亡者らが頭を下にして垂― 414 ―― 414 ―
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