《仏涅槃図》〔図5〕 上ノ国町・照光寺蔵 一幅 嘉永3年(1850)以前刺そうとしたりして彼らを追い立てる(修羅道)。画面左側には無数の旗が立ち並ぶ。【左幅第四段(都市王)】画面左の王庁の中には都市王と二名の冥官が坐す。王庁の右隣には、竹藪を背にして流血する五名の女性の亡者を描く。画面中央では、肋骨が浮き出て腹が膨らんだ亡者が燃える飯を口に運び、獄卒が彼らに器を差し出す(餓鬼道)。画面右の池では亡者が水浴びをする(天道)。【左幅第五段(五道転輪王)】画面左上から阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩が来迎し、亡者らがこれを伏して拝む。観音菩薩は亡者に蓮台を差し出す。亡者らの背後では、五道転輪王、二名の冥官、三体の獄卒が三尊に向かって坐す。画面右の王庁の五道転輪王の座は空座となる。右幅の裏には「須誉念西信士/深誉妙禅信女/先祖代々」「(花押)/利右衛門/[ ]/寅□/吉十郎/悟右衛門/□霊等」「大譽一入淨贒法得(花押) 代」「先祖代々/嘉永三戌年/七月廿八日」「扇石村/惣連中/阿弥陁堂什觀/應知」と墨書がある。筆跡は《賽の河原図》と同様である。左幅の裏には「阿彌陀堂住職十世/大譽浄覧(ママ)代」「見譽紫迎耒雲信女/華雲光照童女/嘉永三年七月廿八日表具仕直シ」「施主人/德光屋利兵衛/次五右衛門/次右衛門/(屋号)(屋号)(屋号)/(屋号)(屋号)(屋号)」「為/鶴峯松壽信士/鶴室妙算信女/菩提/大正三年十二月廿四日表具仕直シ」「阿彌陀堂十三世/利譽穂秀伐(ママ)」「施主人/竹内梅太郎」と墨書がある。大正3年(1914)に表装を改めた際に記されたもので、筆跡は他の作例とは異なる。紙本着色、軸装。画面中央に釈迦が右手を枕にし、目を閉じて宝台の上に横たわる。宝台の周囲を釈迦の弟子、菩薩、八部衆や四天王、金剛力士が取り囲み、嘆き悲しむ。阿那律の導きにより忉利天から飛来する摩耶夫人一行、釈迦の足元の宝台に両手を置く老婆、気絶して横たわる阿難、錫杖と仏鉢が掛けられた沙羅双樹など、仏涅槃図によく見られる図様が描かれる。釈迦を取り囲む群衆と離れた画面最下部の区画には鳥獣が参集し、概ね釈迦の方へと視線を向ける。裏には「信□□/石崎村/河合屋/惣右衛門/□□□/□右衛門/□□□/金右衛門/鶴山壽前信士/同/阿弥陁寺□中」「大譽一入淨贒法得(花押)代」「塩吹村扇石村/羽子さし村/敬白」「先祖代々/嘉永三戌年/七月二十八日/阿弥陁堂什觀/應/知」と墨書がある。筆跡は他の作例とは異なる。― 416 ―― 416 ―
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