鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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以上の仏画を所蔵する照光寺(浄土宗)は、上ノ国町汐吹に位置し、天正10年(1582)の建立と伝わる。かつては江差町・阿弥陀寺の末寺で阿弥陀堂と号していた。《賽の河原図》、《十王図》右幅、《仏涅槃図》の裏書きからは、「塩坎(吹)村」、「扇石村」、「石崎」、「羽子さし村」に住まう者らが嘉永3年(1850)7月28日に寄進したこと、いずれも「應知」なる人物が描いたことが読み取れる。《十王図》左幅も同様と考えてよいだろう。「塩坎(吹)村」は照光寺の所在地である現在の上ノ国町汐吹を、「扇石村」「羽子さし村」「石崎」は現在の上ノ国町扇石、羽根差、石崎を指す。これらの地区は日本海に面して隣接する、鰊漁で栄えた地区であり、寄進者も漁民と考えられる。「應知」の詳細は不明だが、阿弥陀寺および阿弥陀堂と本末関係にある松前・正行寺に手がかりを求められる可能性がある。また「淨贒」は阿弥陀堂の第一世住職の名として伝わる浄賢を指すと考えられるが、阿弥陀堂の建立時期とこれらの仏画が寄進された時期には隔たりがある。阿弥陀堂に関する史料はほぼ現存しておらず、歴史には不明な点が多いが、照光寺によると、《十王図》左幅の裏書きに名が残る阿弥陀堂第十三世住職・平田穂秀が僧籍を取得し、照光寺として阿弥陀寺から独立する以前は、地区の住民の中から仏道の心得を有する者が阿弥陀堂住職の役割を担ってきたという。今回調査した仏画は阿弥陀堂の周辺人物らの篤信により発願された作品群であるといえ、当地の生活に仏教が深く根付いていた証左として注目に値する。また、調査研究が比較的進展している道南においても未調査の作例が多く所在することを示唆するものであり、継続的、悉皆的な調査研究が望まれる。3.今後の展望北海道内に近世以前の仏像、仏画が伝来した時期は、近世期あるいは明治期が大半であると当初筆者は推測していたが、〔表1〕の「由来など」および等澍院蔵《馬頭観音坐像》の調査結果から、大正期、昭和期に伝来した作例も少なからず存在していることが分かった。つまり、北海道における仏像、仏画の伝来は現代にも連なるテーマであるといっても過言ではなく、文献史料以外からのアプローチも有効だ。また〔表1〕の分析においても述べたが、未調査の仏画が道内全域に所在する可能性が高い。今後は仏画を中心として調査を進めることで、より多くの作例の発見、研究に繋げていくことができるだろう。引き続き、文献調査と実見による調査を両輪とした研究を続けていきたい。― 417 ―― 417 ―

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