吉野屋勘兵衛(京)、敦賀屋九兵衛(大坂)、綿屋喜兵衛(大坂)、須原屋茂兵衛(東都)、須原屋伊八(東都)、山城屋佐兵衛(東都)、山城屋政吉(東都)、出雲寺萬次郎(東都)、和泉屋市兵衛(東都)、山口屋藤兵衛(東都)、森屋治郎兵衛(東都)、丁子屋平兵衛(東都)、山崎屋清七(東都)、藤岡屋慶次郎版(東都通油町)後摺と思しき川崎・砂子の里資料館本Aでは表見返しに記されている版元が錦昇堂(恵比寿屋庄七)に変わり、後見返しの奥付がなくなる。さらに、墨の天ぼかし部分など、彩色摺の一部に雲母が確認できた〔図1、2〕。(1)『草筆画譜』(1-1)『草筆画譜 初編』(スミソニアン図書館本(注4))嘉永元~5年(1848-52)にかけて全3冊が出版された。見開きを直線で複数のコマに区切り、多種多様なモティーフを収めている。〔表1〕からは、人物と風景を中心としており、広重がこれらの画題を得意としていたことがうかがえる。描法は、書名の通り筆遣いを簡略化した「草筆」を用いている。形状・丁数:彩色摺 中本一冊 21丁版元:松林堂(藤岡屋慶次郎)序文:柳下亭種員改印:「吉村」「村松」外題:立斎艸筆画譜 初編内題:草筆画譜初編制作年:嘉永元年(1848)初秋(序文)後見返しの奥付では、下記の「三都書林」から出版されていることが示されている。同じく錦昇堂(恵比寿屋庄七)より出版されている筆者所蔵本では雲母摺が確認できなかったが、21丁のうち9丁において袋綴じの内側に石野美満子編『地震並出火細見記』(安政2年(1855)初冬序)の一部の紙葉が使用されていた。大英博物館本(注5)でも同様の事例を確認することができた。よって、安政2年以降にも錦昇堂(恵比寿屋庄七)から再版が行われていたことが分かる。さらに後の摺りと思しき川崎・砂子の里資料館本B(表見返しの内題が「艸筆画譜」に変更)および太田記念美術館本(表見返しの内題がなくなる)では、外題が楷書の『草筆畫譜 初編』となる。表見返しおよび裏見返しに版元の記載がないものの、外題の書体の共通性から、錦昇堂(恵比寿屋庄七)または文昇堂(熊谷庄七)に― 446 ―― 446 ―
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