鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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(3)『略画光琳風立斎百図 初編』(川崎・砂子の里資料館本A)なお、外題は失われており確認できない。さらに、太田記念美術館本では外題が楷書の『草筆畫譜 五編』に変更されており、『草筆画譜』の続編として出版されている。後見返し奥付の版元は、中山道広重美術館本と同じく「笑寿屋庄七」(恵比寿屋庄七)と記載がある。形状・丁数:彩色摺 中本一冊 21丁版元:吉田屋源八序文:柳下亭種員改印:「濱」「馬込」外題:略画 立斎百図 全内題:略画光琳風立斎百図 初編制作年:嘉永4年(1851)獻春(序文)後見返しの奥付では、下記の江戸および大坂の書林から出版されていることが示されている。 河内屋茂兵衛(大坂)、綿屋喜兵衛(大坂)、須原屋茂兵衛(江戸)、山城屋佐兵衛(江戸)、小林新兵衛(江戸)、英大助(江戸)、須原屋伊八(江戸)、岡田屋嘉七(江戸)、和泉屋市兵衛(江戸)、山崎屋清七(江戸)、山口屋藤兵衛(江戸)、吉田屋源八(江戸人形町通り田所町)絵画や工芸分野で活躍した江戸時代中期の絵師、尾形光琳(1658-1716)の名を冠する絵手本である。『草筆画譜』3冊や『浮世画譜 三編』とは異なり、直線だけでなく団扇や扇、円窓などの形で見開きを区切る画面構成や、花鳥と人物を中心とする図様選択が特徴である。筆者は以前、文化12年(1815)の光琳百年忌に際して出版された遺墨展図録『光琳百図』や、広重を含む当時の江戸庶民たちが抱いていた光琳イメージからの影響を指摘した(注10)。肥痩を強調した軽妙な筆遣いによってデフォルメ化されたモティーフには、「草筆」よりも筆致を減らした描法「略画」が用いられている。後摺と思しき川崎・砂子の里資料館本B、太田記念美術館本、国立国会図書館本では、外題が楷書の『草筆畫譜 四編』となり『草筆画譜』の続編として出版されている。また、表見返しの版元名が「吉源梓」から「文昇堂梓」に変更されており、文昇堂(熊谷庄七)に版権が移っている。なお、文昇堂(熊谷庄七)は、錦昇堂(恵比寿屋庄七)の後名であることがアンドレアス・マークス氏により明らかにされている― 449 ―― 449 ―

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