鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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須原屋茂兵衛(江戸日本橋通一丁目)、山城屋佐兵衛(江戸日本橋通二丁目)、岡田屋嘉七(江戸芝神明前)、須原屋新兵衛(江戸日本橋通二丁目)、須原屋伊八(江戸浅草茅町二丁目)、和泉屋金右衛門(江戸両国横山町三丁目)、河内屋喜兵衛(大坂心斎橋通北久太郎町)、河内屋和助(大坂心斎橋通安土町)、河内屋茂兵衛(大坂心斎橋通博労町)、秋田屋太右衛門(大坂心斎橋通安堂寺町)、風月庄左衛門(京都二條通衣之棚角)、俵屋清兵衛(京都麩屋町通姉小路)、永楽屋東四郎(尾州名古屋本町通七丁目)渓斎英泉(寛政3~嘉永元年(1791-1848))が初編と二編、広重が三編を手掛けており、結果的に2人の絵師の合作となった特殊な絵手本である。両者の合作は天保6~9年(1835-38)頃出版の「木曽海道六拾九次」(大判錦絵70枚揃)が挙げられるが、関連性は明らかでない。また、英泉の『浮世画譜』初編、二編については、同じく東壁堂(永楽屋東四郎)から出版された『北斎漫画』から図様選択等に影響を受けていることが指摘されている(注13)。広重による三編の図様選択は人物を中心としており、『北斎漫画』や『浮世画譜』初編、二編に倣い、『草筆画譜』3冊よりもさらに緻(注11)。マークス氏は、「錦昇堂」の堂号は明治8年(1875)まで使用されていたと指摘している。よって、『草筆画譜 四編』は明治8年以降の出版であると考えられる。さらに、『草筆画譜 四編』では表見返しの版元名だけでなく、9丁表~10丁裏にかけて版木の変更が確認できる〔図3、4〕。描かれている図様自体は同じであるものの、書体や絵柄が異なる。何らかの理由で版木が消失し、再度彫り直した可能性が考えられる。(4)『浮世画譜 三編』(筑波大学附属図書館本(注12))形状・丁数:淡彩摺 大本一冊 30丁版元:東壁堂(永楽屋東四郎)序文:老少年改印:なし外題:浮世畫譜三編 全内題:浮世三編 立斎画譜制作年:嘉永6年(1853)以降表見返しには、「尾張東壁堂蔵版画譜畫手本目録」として『北斎漫画』など21冊が記されている。裏見返し奥付には、以下の江戸・大坂・京都・名古屋の書肆から発行されていることが示されている。― 450 ―― 450 ―

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