えたことはすでに先行研究で指摘されている。作品の題材やモティーフに関する調査、モデルや衣装、小道具の調達といった補助はもとより、顧客開拓も請け負い、エフィーが実質マネジャーとしての役割を果たしていたことは、執筆者のこれまでの調査でも論じてきた。また、画家の妻たちが、夫の制作を様々な形で補助した例は、エフィーに限られたことではなく、ラファエル前派コミュニティの中でも一般的であったことは、Gere(注2)の論じるとおりである。以下に挙げる資料は、エフィーの担った役割の多様性を再確認し、すでに先行研究や拙論が指摘するミレイの画業におけるエフィーの貢献を更に裏付けるものであった。1855年の結婚以来、エフィーはミレイの制作と作品販売に係る情報を記録し続け、これは後に息子J. M.ミレイが著した伝記の主要資料となった。(注3)これに加え、エフィーが公私ともに会計業務を担ったことは、Cooperにも引用される長女エフィーから送られた次の書簡が明示している。[…]クリスマスの請求書の数々にパパはかなり動揺しています。私ではどうしたらいいかさっぱりですし、パパはそれを見ると仕事が台無しになるというので、ママが戻るまで全て引き出しに閉まっておきます。[…]みんなパパの作品に大喜びしています。(1878年1月21日、エフィー宛)このなんともユーモラスな報告に加え、エフィーが会計を全般的に担っていたことを示す事例として、前年12月4日付(注4)の長男エヴァレットの手紙を挙げたい。エフィー宛の本書簡で、エヴァレットは作品の販売価格について報告している。具体的には、目下制作中の《ラマーミュアの花嫁》(1878年、ブリストル市立博物館・美術館)について、ミレイが5000ポンドを売価として考えていると述べており、こうした受注ではない作品の価格設定にエフィーが関与していたことをうかがわせる一節である。エフィーが捌いたのは請求書だけではない。次の書簡は、ミレイが展覧会のために貸与したミレイ家所蔵作品の返却に伴う消防署からの通知である。過日バーリントン・ハウスで開催された冬季展覧会に貸与された、保険契約番号2706834に該当する作品、すなわち《ハンス・ホルバインの肖像画》が、貴殿の住居パレス・ゲート2番地に返却されたかどうかをお知らせいただければ幸いです。当局はその事実を記録し、それに応じて資産を保証いたします。(1880年4― 34 ―― 34 ―
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