鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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想を得ていると思われる。顔は真横を向きながら、胸はほとんど全面が見えるような描き方や、高い鼻に細い目をした顔貌表現、肩と肘の部分で大きく曲がる細長い腕などは、ワヤン・クリの人形の特徴をよく表している〔図3〕。こうしたことを踏まえて見てみると、本作は、古代インドの叙事詩マハーバーラタを主題としていることが分かる。インドネシアのワヤン・クリにおいては、通常、インドの二大古代叙事詩マハーバーラタとラーマーヤナのなかのエピソードが上演される。また、複数の馬に引かれた馬車に2人の人物が乗っているという図像は、マハーバーラタのクライマックスに起こる大戦争バラタユダ(バラタ一族の戦争の意)を表す際に用いられる典型的なものである〔図4〕。したがって本作は、インドネシアの伝統芸術ワヤン・クリで演じられるマハーバーラタの一節に着想を得たものと思われる。マハーバーラタを主題とする多くの類例に照らしてみても、本作で弓を引く人物は、パンダワ五王子の三男であり弓矢の達人であるアルジュノであり、手綱を引く人物がパンダワの知将クレスノと考えて間違いないだろう。インドネシア近代美術におけるマハーバーラタという主題さて、当時こうした古代インドの叙事詩という主題は、どのように位置づけられるものだったのだろうか。1930年代後半から40年代前半のインドネシア美術は現存作例が極めて少ないが、1941年にバタヴィア芸術協会で開催されたプルサギの展覧会のカタログは、当時どのような主題が描かれていたのかを推測する上で、一つの重要な手がかりとなるだろう〔表1〕。残念ながら、掲載されている作品図版は表紙にある1点のみであり、その作品が出品作のうちのどの作品に当たるのかも分からない。しかし、各作品のタイトルから、概ねどのようなものが主題として選択されていたのかを推し量ることができる。出品作の多くは、No. 35《チリウンの田舎町》やNo. 50《橋のある風景》など、身の回りの環境や風景を主題としたものが多く、他にも舟や橋といった生活のなかにあるものをモティーフとして採用していることが分かる。本展において、全体の出品数のおよそ半分を占めているアグス・ジャヤは、No. 5《踊り子》やNo. 23《水浴びをする女性》といった女性像を多く手掛けており、他にはNo.14《チャプ・ゴー・メー》(インドネシアで行われている中国由来のお祭り)やNo. 25《クダ・クパン》(竹で編まれた馬を用いた伝統的な踊り)のようなインドネシア固有のテーマを扱ってもいる。一方で、マハーバーラタやラーマーヤナを想起させるようなものは見当たらない。同展の出品作に関して、インドネシアの文学者であり歴史家でもあるサヌシ・パネ― 461 ―― 461 ―

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