戦う様子が描かれている。本作には、「バラタユダ」(Bharata-Judha)というインドネシア語のタイトルも付されていることから、マハーバーラタを主題としていることが分かる。オランダ領東インド時代には少なくとも公の場ではほとんど見られなかったマハーバーラタを主題とした作品が、日本軍政期には軍政監賞という大きな賞を受賞している点は、オランダ時代とは対照的な展示の政治性を示しているという点で非常に興味深い。また、アグス・ジャヤとともに啓民文化指導所で芸術家の指導にあたったスジョヨノは、同所での次のような出来事を後に語っている。 私がケイミン・ブンカ・シドウショに出向いた、あるときのことです。何人かの日本人将校と、アグス・ジャヤ、そして、センデンブのシミズ[清水斉]がいました。シミズは私に「スジョヨノさん、あなたは『ラーマーヤナ物語』[古代インド伝来の叙事詩]を描くといいですね」と言いました。「はい、そうします。シミズさん」と私は答えました。すると彼は「ただし、スジョヨノさん、その絵の中ではインドネシア人たちが猿たちになって、日本人がラーマーヤナ[英雄的主人公ラーマ]になるように描くんですよ」と言うのです。私は、心のなかで「とんでもない。なんて失礼なやつだ。この日本人は」と思いました。でも私は「そうしましょう。私もシミズさんに賛成です。けれども、あとでカスマン[防衛義勇軍ジャカルタ大団の大団長、カスマン・シンゴディメジョを指すのではないかと思われるが詳細は不明]が怒りますよ」と返事をしました。彼は「ああ、もうこの話はやめにしよう」と言いました。(注7)日本軍は、ラーマーヤナのようなインドネシア(特にジャワ島)の伝統的な芸術文化の重要性に理解を示す素振りを見せながら、それを日本を中心とした大東亜共栄圏の構築に利用しようとしていたことが窺われる。恐らくはこうした観点から、マハーバーラタも同様に、この時期にインドネシア人が描くべき主題として推進されたのだろう。管見の限り、アグス・ジャヤは、1945年にもう1点マハーバーラタを主題とした作品を描いている。《ビスモ斃れる》(Bisma Djatoeh)と題された本作は、《戦争》と同じような横長の画面に、多くの人物による戦闘の図が描かれる〔図7〕。その画面中央には、無数の矢に倒れるビスモが描かれていることが分かる。これまでの作品は、広くマハーバーラタという主題を扱っていたのに対して、本作においてはビスモが倒― 463 ―― 463 ―
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