鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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されるという特定のシーンを描いているという違いが見られる。1945年8月17日、インドネシア独立宣言後、アグス・ジャヤは弟のオットー・ジャヤとともに、西ジャワ州のスカブミという場所で、ゲリラ戦部隊である人民治安軍の第3師団第3部隊に所属している(注8)。日本軍の降伏後、程なくしてインドネシアに侵攻してきたイギリス軍やオランダ軍に対抗するために、インドネシアはこうしたゲリラ戦部隊を組織し、それに画家も動員されていた。こうした背景を踏まえれば、《ビスモ斃れる》は独立戦争を戦い抜くための戦意高揚を意図して、マハーバーラタにおける戦闘のシーンを描いたものと解釈することもできるかもしれない。しかし、マハーバーラタは、独立戦争やナショナリズムといった文脈だけでは捉えきれない複雑な内容を持っている。そもそも、物語のなかで争うパンダワとコラワという2つの陣営は、互いに親族や、師弟関係を持つもの同士である。パンダワとコラワがぶつかり合う大戦争バラタユダの直前の状況を、インドネシアのワヤン研究者である松本亮は次のように記す。アルジュノは敵軍を見渡した。敵とは殺害しなければならぬ相手である。殺害せねば自分がその刃に付さねばならぬ。憎悪がなくてどうして戦いえよう。アルジュノは敵の先頭に居並ぶ将たちを見渡した。すべては周知の仲の人物たちであった。ことに師表とあおぎ敬愛をおくあたわざるビスモ、ドゥルノ、サルヨらにどうして矢を向けられよう。憎むべき相手とはいえ総帥ドゥルユドノを筆頭に立つコラワ一族は従兄弟たちであり、幼い日よりともに育った仲である。類いない馭者としてのクレスノを傍にして、アルジュノの力は萎える。戦意は喪われ、呆然と立ちつくすしかなく、この期に及んで、いまさらながらみずからの業の深さに暗然とする。彼はその苦衷をクレスノに訴えたのである。(注9)また、物語の中ではビスモも単純に倒すべき悪役として描かれてはいない。彼はかつて、誤って自分のことを愛していた女性デウィ・オンボを弓矢で殺してしまう。バラタユダに際しては、そのデウィ・オンボの霊魂がのり移ったデウィ・ウォロ・スリカンディと、かつての弟子であったアルジュノの引く弓矢によって倒れるのである。こうした内容を踏まえると、アグス・ジャヤのマハーバーラタを主題とした作品は、単純に独立戦争期のナショナリズムという側面からのみ考察できるようなものではないことが分かる。インドネシアの伝統芸術との接点を持ちながらも、展覧会という場の政治性や、イ― 464 ―― 464 ―

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