注⑴ 「京阿蘭陀」は、昭和時代初期から骨董業界人で使われていた呼称とされる。収納箱に、「和蘭」「阿蘭陀焼」などと記されているが、この名称は一般的に初代尾形乾山が創始したとされる阿蘭陀写も含まれる。本稿では、19世紀以降につくられた素焼きした生地に白化粧土を施し、藍絵で器体を埋めつくすように花卉唐草文を描き込み、異国風景図などの意匠を採る阿蘭陀焼の作例をさして「京阿蘭陀」を用いている。⑵ 愛知県陶磁資料館編集・発行『阿蘭陀焼 憧れのプリントウェア─海を渡ったヨーロッパ陶磁』(2011)、ならびに岡泰正「意匠としての阿蘭陀」(神戸市立博物館編集『神戸市立博物館所蔵阿蘭陀絵伊万里とびいどろ・ぎやまん展─江戸のオランダ趣味─』、福山市立福山城博物館、1998)、6-20頁、岡泰正「輸出漆器と輸入陶器~和製阿蘭陀をめぐって~」(京都文化博物館・京都新聞社編集『異国の風─江戸時代、京都が見たヨーロッパ─』、京都新聞社、は、白化粧を掛けた素地に、藍絵で意匠を施す点は京阿蘭陀の作例と共通するものの、そこに描かれている風景図はまったく中国風になっている。周囲には、山中で語らう人物、川面をくだる船などが描かれている。舟遊びに興じる一行をみると、船の前景に二本の木が描かれ、その間から通過していく様子が上手く捉えられている。このように異国風景図には、西洋風の人物を描きながらも、中国風の建築物が描かれた作例もみられた。京阿蘭陀に描かれる異国風景図は、西洋的なものから中国趣味的な図様への変化を辿っていた可能性も想定されよう。おわりに基準作例となる作例が少ない中ではあるものの、京阿蘭陀の意匠の変遷についてみてきた。花卉唐草文については、牡丹などの花卉唐草文には、花弁、蕊の表現などに差異があることを確認した。異国風景図については、透視図法やハッチングによる陰影表現を採り入れようとする絵付師の姿勢が顕著なもの、その表現への理解が乏しいものなど作品によって隔たりを見出せたといってよい。この点は単に典拠とした作品の違いだけではなく、製作者や製作地の特徴と捉えることができるかもしれない。京阿蘭陀の意匠をみたとき、数が少ないながらも、基準作を考慮しても、極めて短期間のうちに花卉唐草文を基調としながらも、異国風景図や中国趣味的図様を採り入れて、洋の東西が混在した意匠が展開していったと考えられる。本稿では京阿蘭陀の意匠のみの考察に留まっており、成形技法や釉薬や陶土の科学的分析ついて言及できていない。課題が残るものの、京阿蘭陀の意匠の変遷を考えた時、花卉唐草文を基調とするものから、異国風景図、中国趣味的図様を混在したもの、さらには中国趣味的図様へと重きを置いていった可能性を提示しておきたい。― 476 ―― 476 ―
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