鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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やスカウトに長けていたが、採用後の対応もそのままエフィーに委ねられていたようだ。次の書簡は、1883年3月18日にアネッタ・O・ビヴァンなる人物からミレイに宛てられたものである。送り主の娘ウィニフレッドは、《巣から落ちて》(1883年、所在不明)〔図2〕のモデルを務めたが、制作途上で少女の顔が描き直される旨をエフィーから知らされた母親は、以下を書き送っている。ミレイ夫人の手紙に書かれていた知らせにとても落胆し、驚いています。私にはとても生き生きとした絵に思えましたし、何も思い出に残るものがないことをとても残念に思っています。切り離されるのは頭部のみだそうですね。ですので、あなたが彼女の体に別の[少女の]頭をつけるつもりかもしれないと、ふと思ったのです。もしそうお考えなら、ドレス[のデザイン]とサッシュの色を変えていただければ幸いです。あのドレスは、ぴったりとしたものに誂えるのに大変な苦労をしましたし、娘をこのドレスで描いてもらおうと心に決めていました。[…]我が子の姿を別の[子どもの]顔で見るのは、私にとって非常に不愉快であることはご理解いただけると思います!この話題に触れることをお許しください。せっかく興味を持って下さったのに、仕上がりがお気に召さなかったことをとても残念に思っています。ウィニーにはまだ話していませんし、夫は留守なので、二人が何と言うかわかりません。(1883年3月18日、ミレイ宛)いささか冗長ともいえる文面からは、我が子の顔が採用されないことに対する母親の落胆と苛立ちが見え隠れする。現存する完成作では画中の少女は、まさにここで挙げられた白いドレスにピンク色のサッシュを身に着けているが、ミレイが果たしてこの母親の陳情を聞き入れたのかどうかは定かではない。本書簡自体は直接作家に宛てられているものの、冒頭で示されるとおり、本来の窓口はエフィーであり、恐らくこれに対する返信も彼女がつづったことは想像に難くない。これら書簡の数々は、ミレイが制作以外のおよそ全ての実務をエフィーに一任していたことを断片的ながらも、如実に物語っている。4.娘たち母エフィー同様にミレイの制作活動を支え、やがて部分的ながら役割を引き継いでいったのが娘たちである。長女エフィー、次女メアリー、三女アリス・ソファイア・キャロライン(愛称キャリー)、そして末娘のソファイア・マーガレット・ジェイム― 37 ―― 37 ―

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