㊹ 古代ローマの軍艦図像研究─後1世紀から後2世紀まで─研 究 者:東京都立大学 人文科学研究科 客員研究員 坂 田 道 生はじめにローマ共和政期から帝政期までの古代ローマ軍における海軍の重要性については多くの研究者により指摘されており、前3世紀に地中海の覇権をめぐって争われたポエニ戦争ではローマ軍の三分の一を、帝政期を通じては平均して1割を海軍が占めたとされてきた(注1)。このように、古代ローマ軍において最も重要な部門の一つであったにも関わらず、その詳細については不明な点が多い(注2)。その理由は以下の二つにある。第一に、海戦、船の建造、航海術などについて記した5世紀の著述家ウェゲティウス、アクティウムの海戦と模擬海戦について記されたいくつかの文献を除いて、海軍について言及する文献史料は乏しい(注3)。従軍した兵士の経歴を銅板に刻んだディプローマdiplomaと呼ばれる文章も残されてはいるものの、海軍の全体像を知る手掛かりにはなり得ない。第二に、前3世紀から後5世紀までに特定される古代ローマの難破船の残骸は多く発見されているが、海洋航行で使用された軍用艦船(以下軍艦と記す)と明確に特定されるものは一つも現存していない(注4)。河川用艦艇については、4世紀のナウィス・ルソリアnavis lusoriaと呼ばれる哨戒艇の残骸が1981年にドイツのマインツにおいて発見されている。なお、軍艦とは戦闘行為を目的として整備された船舶に限らず、海軍が所有し、海軍士官が指揮する船舶を、兵装の有無に関わらず指す。このように文献史料も考古史料も乏しい一方、比較的多く残されるにも拘わらず、看過されてきたのが図像資料である。トラヤヌス記念柱、マルクス・アウレリウスの記念柱、《アクティウムの海戦浮彫り》には、戦時におけるローマ海軍の様子が表現される。海軍に着目した包括的な検討がなされていないこれら三つの大規模な作例を考察の対象とする。本研究では、まず、ローマ海軍の歴史的な発展をまとめる。そして二つの記念柱浮彫りと《アクティウムの海戦浮彫り》に表された軍艦図像に関して考察を行う。こうして、1世紀から2世紀の古代ローマの軍艦図像を検討することで、軍艦図像の変遷、それぞれの作例における軍艦の役割、その表現の特徴について考えたい。― 492 ―― 492 ―
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