鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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1.古代ローマ海軍の歴史的発展元来ローマは、イタリア半島中部に位置する一勢力に過ぎずなかったが、共和政期から帝政期にかけ、イタリア半島を統一し、地中海全域に領土を獲得していった。領土獲得の過程での様々な勢力との争いの中で、なぜ艦隊は必要とされるようになったのか、そしてそれはどのように発展していったのか。本節では、ミシェル・レッデの見解に基づき(注5)、共和政期から2世紀にかけての古代ローマ海軍の発展を概観し、その背景について考察をする。ただ、古代ローマにおける艦隊及び海軍に関する詳しい記述はあまり現存しないため、歴史的な出来事に基づく推測の議論を中心とする。ローマによるイタリア半島統一において艦隊は長い間、必要とされなかった。アペニン山脈に居住するサムニウム人との間で勃発し、前290年まで続いたサムニウム戦争が終結するまで、ローマの拡大は陸続きの領土におけるものだったからである。しかし、初の海外植民地の設立、カルタゴとの同盟の刷新、前300年以前のロドスとの友好条約の締結などにより、前4世紀の終わりにかけて、共和政ローマは海外での領土拡大を視野に入れ始める。その後、ローマがイタリア半島にだけ限定されない勢力となるきっかけとなったのは、南イタリアの征服とバルカン半島に位置したエピロスの王ピュロスに対する勝利であったという。ローマの歴史の流れと次第に獲得された領土を見ると、以前は必要とされなかった艦隊が徐々に組織され、様々な歴史的出来事の下、不可欠な戦力となっていったことが分かるとレッデは指摘する(注6)。造船技術と海軍力に優れたカルタゴと対決し、前264年から241年まで続いた第一次ポエニ戦争の後、共和政ローマは地中海の覇権を握る。前2世紀後半になると、もはや強力な敵がいなくなったことから、ローマ海軍は弱体化し、次第に廃れていく。この時期、東地中海で海賊行為が頻繁に見られるようになったのは、ローマ海軍以外の他の勢力が失われたからであるとされる。その後、ローマ海軍が復興するのは、共和政期の内戦が終結し、ローマ社会が回復してからである。共和政期の内戦の際、アグリッパは海軍を改革するが、それは必要に迫られてのことだったという(注7)。大規模で、卓越した艦隊なくしては、シチリアをコントロールしローマへの物資の輸送をブロックしていたセクストゥス・ポンペイウスそして、東地中海を支配していたマルクス・アントニウスに対処することができなかったからである。その後、アウグストゥスはアントニウスとクレオパトラ率いる連合軍をアクティウムの海戦で破る。アウグストゥス治世には海軍は常備軍とされ、帝国中に艦隊が設立される。― 493 ―― 493 ―

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