鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
509/712

2-3.《アクティウムの海戦浮彫り》6-1、6-2〕。三つ目は《アクティウムの海戦浮彫り》である(注16)。クラウディウス治世(後41-54年)に制作されたこの作品にはオクタウィアヌス(初代皇帝アウグストゥス)が政敵マルクス・アントニウスと戦い勝利を収めた前31年のアクティウムの海戦が表される。未だに全体像が不明な一連の大規模な作例の一部にあたる11個の浮彫りが16世紀に発見され、現在、そのうち8つがコルドバのカルドナ公コレクションとブダペスト国立美術館に分散して所蔵される。《アクティウムの海戦浮彫り》の三つの浮彫りに見られる海戦場面には、全部で9隻の軍艦が表現される。沈没している一隻を除く8隻の甲板では兵士たちが戦う姿で表され、海上での戦闘の様子が伺える。防具が全て同様に表現されており、敵と味方を描き分けようという意図は感じ取れない。アクティウムの海戦は前31年9月、イオニア海のアクティウムにおいてオクタウィアヌス支持派対プトレマイオス朝及びマルクス・アントニヌス支持派の間で争われた海戦である。つまりローマの二大勢力の間の戦いであったため、史実を反映して敵味方いずれも同じ武具を着けて表されているのかもしれない。ただ、向き合って戦う2人の兵士も一部に見られることから、船上で戦う二つの勢力が表現されてはいるとは言えるだろう。9隻の軍艦にもある特徴的な表現が見られる。沈没した1隻除いた8隻には、いずれも櫂が一段しか備えられておらず、一段櫂船として表される。例えば〔図7〕には前景に二隻の船が表される(注17)。前景右側の船は沈没し、傾いた様子で表現される一方、前景左側の船上には4人の兵士が表現される。船上の塔の左側には、右側を向く人物、それと向かい合うように表現されていただろう人物の左の大腿部が残されている一方、船の右側では兵士が左手で何かを掴み、右手を上に振り上げる。塔の後方には、胸部から下だけが見える兵士の姿が表される。沈没した1隻と中央前景の1隻を除いた7隻の中央部分には〔図7〕に認められるような、小さな塔のようなものが船上に見られる。3.まとめ─三作例における軍艦表現の比較検討では、三作例に見られる軍艦表現にはどのような相違があるのか。まず、三作例に見られる軍艦表現の数についてもう一度確認しておきたい。41から54年に制作された《アクティウムの海戦浮彫り》には9隻の軍艦表現が見受けられる。113年に作られた― 496 ―― 496 ―

元のページ  ../index.html#509

このブックを見る