鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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⑷ ゲイル、前掲書、131頁⑸ Reddé, M., Navy, in Le Bohec, Y.■■■■■.(eds), ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, vol. 2, 注本論で用いる雑誌名の略記はDeutsches Archäologisches Institutが定めるListe der Abkürzungen für Zeitschriften, Reihen, Lexika und häufig zitierte Werke (http://www.dainst.org/de/)に、古代文献の略記はBrillʼs New Pauly, Brill, 2002, Vol. 1, pp. XLIII-LIに従うこととする。⑴ Pitassi, M., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■&■■■■■■■ 350 ■■■■■475, Seaforth Publishing, 2012, vi.⑵ ローマ海軍とその考古学資料に関係して、すでに以下の論文が著されている。豊田浩志 「ポンペイ遺跡の謎を探る:(1)船舶係留装置考」『西洋史学報』50号 2023年 193-211頁、ゲイル・エドワード「元首制期ローマ海軍について」『軍事史学』 第54巻第2号 錦正社 2018年 119-142頁⑶ Veg. Mil. 翻訳については以下を参照。Vegetius, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, translated by Milner, N.P., Liverpool University Press, 1993.Blackwell, 2015, 675-681.⑹ Ibid. 676.⑺ Ibid. 677.⑻ 主に以下を参照した。Coarelli, F., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, translated by Rockwell, C., Editore Colombo, 2000.⑼ Ibid., p. 76, pl. 32.トラヤヌスの記念柱浮彫りには32隻の船が表現されている一方、193年以前に制作されたマルクス・アウレリウスの記念柱浮彫りには36隻の軍艦が表現される。三作例に見られる軍艦は全部で77隻である。トラヤヌスの記念柱浮彫りとマルクス・アウレリウスの記念柱浮彫りに見られる軍艦の役割はいずれにおいても、人員輸送、物資輸送、橋脚としての浮船の三つである。両作例の軍艦表現については異なる特徴が見られ、トラヤヌスの作例では二段櫂船、三段櫂船、そして簡素なつくりで、時折一本の櫂が見られる船が表される。一方、マルクス・アウレリウスの作例では全てが簡素なつくりで、時折一本の櫂が見られる船として表される。二世紀のこれら作例と一世紀に制作された《アクティウムの海戦浮彫り》の軍艦表現は大きく異なり、ここには海上での戦闘場面が表され、船は全て一段櫂船であり、7隻の軍艦の上には小さな塔が見られる。三作例の軍艦表現を見てみると、時代と共に、軍艦表現が多様化、あるいは発展しているとは言えない。むしろ、《アクティウムの海戦浮彫り》と二つの記念柱浮彫りに見られる軍艦表現の間には関係はほとんど見いだせないように筆者には思われる。その理由や背景についての考察は、今後の課題としたい。― 497 ―― 497 ―

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