鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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インタビュー記事を執筆した批評家テリアドは、飾られた同時代の美術作品と、調度品、そして「黒人」の彫刻が「秩序」を形成しこの部屋を支配していると語る。記事のなかでは、私邸の装飾や絵画の配置それ自体に関するギヨームの発言は示されていないが、テリアドは、コレクションが見事に配された邸宅内部を「秩序」が支配し、「聡明な室内の生活を美術館の知識へと結びつける」その雰囲気を回想しつつ、美術館的な展示空間とは異なるギヨーム邸の様子を伝えている。加えて興味深いのは、ギヨーム邸の「秩序」の一端は、適切に生活空間に配された絵画が現代人の生と馴染むことで生ずるものだと解釈している点である。テリアドは画商のヴォラールを引き合いに出し、後者のコレクションの多くが地下倉庫で山積みであるのに対し、ギヨーム邸では「タブローは美しい壁に飾られ、隣り合うよう並べられ、穏やかで心地よい部屋の生気をゆったりと吸い込み、現代人の生活の特徴を帯びることになる。そして、ワインの瓶のようにではなく、平穏にゆっくりと年月を重ねていくのである」と語り、作品をひと目のつかない場所に蔵するのではなく生活のなかで鑑賞し楽しむギヨームの姿を伝えている。テリアドはギヨーム以上の「優れた擁護者」「輝かしい伝道師」はいないだろうと結論づけているが、他の批評家も、ギヨームが質の高い美術作品を所有・売買しているという事実だけでなく、その邸宅に飾り公開しているという事実に着目しそのコレクションを論じていた。1929年に創刊されたブルジョワ層向けの同時代美術雑誌『アール・ヴィヴァン』は国際的な芸術動向や装飾美術、「洗練さ」を雑誌テーマとして掲げ多数の同時代の美術品や装飾美術を揃えた邸宅、コレクターらの生活や趣味を取り上げていたが、同誌で度々紹介されたのがギヨームであった。1929年のある記事は、ロンドンにおけるオランダ美術展の成功を報じるとともに、他の西欧地域と比べてフランスの公的美術館の試みが遅れていることを指摘する(注3)。フランスの公的美術展示の遅れは、予算の少なさ、展示施設の狭さに加え、記事を執筆した批評家J.-E. ブランシュは趣味の一貫性の無さをその要因に挙げているが、これらの問題はリュクサンブール美術館と同時代美術展示をめぐる当時の議論を想起すれば充分であろう(注4)。公的美術館に対しブランシュの眼に好意的に映ったのは、メシーヌ通りの「邸宅美術館hôtel musée」を公開し、さらに同年自身のコレクション展を開催したギヨームの「誠実さfranchise」であった。ギヨームの画廊が刊行していた『パリの芸術』誌の記事を引用しつつ(注5)、ブランシュは公的美術館が二の足を踏んでいた同時代美術を含む多様かつ質の高い作品を蒐集するだけでなく、資産家A・バーンズに同様の質の高い作品を薦めるなど、同時代美術に対する趣味とその蒐集を― 502 ―― 502 ―

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