フランス内外へと布教した存在としてこの美術商を評価する。つまりギヨームは、自身のコレクションを自室で閉鎖的に鑑賞し楽しむコレクターではなく、公的美術館に代わって資産家のみならず大衆にも自身の同時代美術を広める「誠実さ」を伴った人物として描かれているのだ。2:公的美術館とギヨームの「邸宅美術館」テリアドやブランシュによるギヨーム・コレクションの評価は、購入・収蔵される同時代美術作品そのものだけでなく作品の展示方法やその空間にも特異な点があることを伝えている。1932年の『アール・ヴィヴァン』には、作家・詩人のA・ピーラルによる「ある大蒐集家の室内:ポール・ギヨーム氏」と題されたギヨーム邸に関する記事が掲載され、1930年頃から新たに設けられたボワ通り(現在のフォッシュ通り)の邸宅美術館が紹介されている(注6)。現在オランジュリー美術館にはこの邸宅の一室を再現したミニチュアが飾られているが、同記事掲載の6枚の図版からは、その室内の広さや豊富なコレクション、家具調度品が配され生活空間のなかに存する美術作品の様子をうかがい知ることができる〔図3~8〕(注7)。ピーラルは、コレクションそのものよりも部屋に配された家具・調度品や諸作品の相互作用に着目する。というのも、ギヨームのコレクションは、その蒐集された作品自体の質の高さだけでなく、作品が飾られた室内空間とその配置そのものがもたらす「調和」にこそ秀でたところがあるからだ。ときに家具が美術作品の鑑賞を妨げることもあるが、一方で様式的な美しさを備えた家具が壁に掛けられた絵画作品の魅力を倍加させることもある。ピーラルはギヨームの邸宅美術館が後者の成功例であるとみなし、こうした相互作用が家具と作品だけでなく作品間にも見られることを次のように評している。「じっさいのところ、ここで味わわれる満足を他の美術館を訪れて感じたことはない。それは額縁によって固定された作品群、すなわちここにはマティス、ドラン、ルノワール、ルソー、秀逸なモディリアーニの作品群、さらにはあらゆる制作年代を網羅するピカソの完全なコレクションがあるとはいえ、これらの作品群の美しさによるものではない。我々を魅了するのは、これらの絵画の壁への按配agencementがつくりあげる奇跡の故であり、絵画が作り出す調和は互いに維持され強化されている。この場所は絵画のために創られたのだ。こうした誠実な貢献によって、この場所はあらゆる称賛を得るのだ」。ピーラルは、ギヨームのコレクションが公的美術館と趣味の点で異なるという立場を越え、私的な蒐集空間が芸術作品にもたらす新たな可能性にまで踏み込んでいる。つまり、コレクターの室内展示が首尾よくいけば個々の芸術作品は「相互に」影― 503 ―― 503 ―
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