するブリゲットの立場と真っ向から対立するのである。加えてプリュネルは、美術商が行うような作品へのライティングや、装飾芸術家ブリゲットの展覧会で行われているような個別の絵画作品を刳形装飾や調度品によって際立たせる展示は、作品そのものがもつ本来的な魅力を損なうと批判する。こうした「演出」が作品にとって「二義的なもの」であり、「腕利きのクチュリエは醜い女を変身させることに長けている、でもわかるだろ、私が好きなのは本当の美人であってそれは裸の状態の美人のことなんだよ」と語る。つまりブリゲットとプリュネルは、作品の個別的展示と集合的展示だけでなく、個々の作品を際立たせる装飾を重視するか否かといった立場においても対立する人物として描かれているのだ。愛好家の邸宅とそのコレクションの処遇をめぐるこの記事が本論文で興味深いのは、記事の頁の上半分をフォッシュ通りのギヨーム邸大サロンを写した図版が占めているからである〔図11〕。すなわち、同記事を読む誰もがここで展開される主題の重要人物として、本文では一切その名は登場してこないギヨームを頭に思い浮かべるはずである。ギヨームがフォッシュ通りに邸宅を設けたのは1930年頃のことであり、引っ越しの話題そのものはギヨームとは直接関わらないだろうが、図版から判断するに、ロジェ=マルクスはギヨーム邸をブリゲットが薦める個別的展示ではなくプリュネルが重視する集合的展示の一例として挙げている可能性は高い。さらに、当該図版のキャプションには「偉大な芸術愛好家grand amateur dʼartの大広間、フォッシュ通りの故ポール・ギヨームの大広間」とあるように、ギヨームの邸宅及びそのコレクション展示は否定的に解されるよりも「偉大な芸術愛好家」として肯定的に解釈されていると捉えるほうが自然であり、ロジェ=マルクスは集合的展示がもたらす効果を支持するとともに、個々の作品を個別的に展示しそれを過剰に演出する方法を批判していると考えることもできる。ここに当時の美術館展示やミュゼオロジーへの批判的意識を読み取るにはさらなる検討材料が必要だろうが、少なくとも、ギヨーム邸の展示が、作品を個別個別に味わう鑑賞の様式と結び付けられるのではなく、周囲の絵画との相互関係のなかでそれぞれの作品の魅力が高まるという利点と関係づけられていることは確認できる。プリュネルの立場は、作品相互の影響関係を指摘する先のピーラルの見解にも沿うものであるし、倉庫に山積みにされず壁にうまい具合に飾られた様子を肯定的に報告したテリアドの見解とも符号する。いわば、ギヨームの邸宅のコレクションは、同時代の秀逸な作品を蒐集するその趣味判断に特徴があるというよりも、また一点一点の絵画の貴重さやその質の高さがゆえに評価されるというよりも、複数の絵画が相互に影響を与え、質を高める形で額装・配置・展示されており、鑑賞― 505 ―― 505 ―
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