感謝しております。これこそまさに大きな作品[制作]のために望んでいたものでした、たくさんの感謝をこめて。(4月13日、年記なし、注8)ここでメアリーは、ミレイの作品制作のためにヒプキンスから借用した古地図に対する礼を述べている。本書簡には4月13日という日付のみしか記されていないものの、添えられた手書きのメモによれば貸与された地図はミレイの《情熱の支配(鳥類学者)》(1885年、ケルビングローブ美術館・博物館)[図3]に用いられたようだ。これを前提とすると、恐らく本書簡はメアリーが25歳になる1885年前後にしたためられたのだろう。(注9)これに加え、イェール大学英国美術研究センター所蔵の、メアリーから画家フィリップ・ハモジェニーズ・コールドロンに宛てた書簡(1896年6月23日付、注10)には、食道癌を患い不自由の多い父親のために、代理で筆をとった旨が記されている。ミレイ家の娘たちは芸術を職業として選択しなかったものの、これまでたどってきたように、ミレイの制作過程に多様な形式で関与していた。それにも関わらず、作家の没後、伝記を著した四男ジョン・ジュール・ミレイと比較し、娘たちの貢献はおろか名前もほとんどこれまで俎上にあげられなかった点を、ここで強調しておきたい。5.おわりに今回の調査では、時間的な制限故にG. M.コレクションに含まれる全ての書簡に目を通すことはかなわなかったものの、複数の書簡を通じ、ミレイと周辺の女性たちの関係や彼女らの具体的な営みが明らかとなり、ミレイの制作活動において女性たちが多様な役割を果たした可能性を提示した。一方、当初の目的のひとつであったミレイの画業初期のパトロン、マーサ・クームに関しては、現状入手可能な資料を除いて一次資料の所在は明らかにならず、両者間で交わされた書簡も確認できなかった。しかし、本調査を通じ、マーサ以外の女性たちとのやりとり、交流が断片的ながら確認できたので、引き続きG. M. コレクションの調査とクーム関連の資料の所在特定を進めていきたい。謝辞本調査にあたっては、テート・アーカイブのAdrian Glew氏、アシュモリアン美術館 西洋版画素描室のCaroline Palmer氏をはじめ、両館の方々よりご高配賜りました。末筆ながらここに記し、心より御礼申し上げます。― 39 ―― 39 ―
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