鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注⑴ E. Tériade, ''Nos enquêtes : Entretien avec Paul Guillaume'', feuilles vollantes, ■■■■■■■■■ʼ■■■■, ⑷ 柳沢史明「両大戦間期ジュ・ド・ポーム美術館の袋小路──館長アンドレ・デザロワの苦悩と1929, pp. 217-8.Paris, 1927, n°1, pp. 6-7.⑵ なお、オランジュリー美術館内のポール・ギヨームのアーカイブには歴代のギヨームの邸宅の室内風景を撮影した写真アルバムが保管され、室内に飾られた作品のほとんどは同美術館のアルキビストによって同定されている(Musée Orangerie, Les Archives de la Collection Walter-Guillaume, ʻʼPhotocopies des photos dʼintérieur -Villiersʼʼ)。⑶ J. -E. Blanche, ʻʼLa Dutch exhibition à Londres, les musées privés à Parisʼʼ, ■■■■■■■■■■, Paris, らである。じっさい、第一節で触れた1929年の『パリの芸術』では、ギヨームとバーンズのコレクションと並びサローのコレクション(ピカソ、ドラン、キリコ、さらにはコートジボワールの仮面)の図版が掲載され、同時代美術への公権力の無関心さに幕を下ろす新世代の政治家たちのなかで一際重要な人物としてA・サローが紹介されている(注12)。1920年代後半から、ギヨームとサローはともに夏休暇を過ごすほど親密で、オランジュリー美術館にも両者が親しげにバカンスを楽しむ様子の写真が数葉残されており、それを勘案すれば『パリの芸術』におけるサロー礼賛や彼のコレクション紹介はギヨームが意図的に試みたものであることを疑う余地はない。二人の関係、さらにヴァルデマール・ジョルジュを巻き込んだ関係は、1929年のベルネーム・ジュンヌ画廊のギヨームのコレクション展でも認められ、展覧会カタログをW・Gが、展覧会の特別講演会をサローが引き受けるなど、同時代美術擁護の陣営の三者は緊密な関係にあった。W・Gは同時代美術擁護者としてのサロー、さらには非西洋の造形物を西洋の美術作品と照応させる手腕を備える見識ある蒐集家としてのサローを紹介しながらも、先のコレクター論を意識し、サローによる芸術の享受を次のように論じている。「続いての部屋はサロー首相の書斎である。この部屋こそ、彼が熟考し仕事を行う場所である。またこの部屋こそ、永遠の価値があると判定されうる品々が集められた場所である。クメールの彫像、唐時代の中国の彫像が置かれており、その顔つきは内奥へと向かう視線によって活気づけられ、屈曲した微笑が輝きを与えている(注13)」。同時代美術を擁護し美術品の私的蒐集に強い関心を示したギヨーム、W・G、サローという三者の関係は、おそらくさらなる資料の渉猟や分析が必要となろう(注14)。とりわけ政治家サローの出発点である地方紙の美術担当記者としての側面に着目することでもその一端は明らかになろうが、紙幅の関係上さらなる考察は別の機会の課題としたい。― 509 ―― 509 ―

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