② 美術と非美術─19世紀のベルリンにおける非西洋地域の展示─研 究 者:京都芸術大学 非常勤講師 三 井 麻 央はじめにドイツの美術史家でベルリン王立博物館等の総館長を務めたヴィルヘルム・フォン・ボーデ(Wilhelm von Bode, 1845-1929)は、多様な領域のコレクション形成に着手し、ベルリンの博物館が現在所有するコレクションの基盤のひとつを築いた。それは西洋美術のみならず、東アジアの美術や工芸品も含み多岐にわたる。しかしそのとき、非西洋地域で制作された造形物や「大芸術」の範疇に属さない工芸品は、いかなる物質観、美術観のもとに収集されたのか。また、それらの展示手法は西洋美術コレクションの展示手法と比べ、いかなるものであったか。本稿では、自伝や草稿を対象にしたボーデの美術観の考察とともに、同時期にベルリンで非西洋地域の文物に関する収集・展示の機能を担い、ボーデと対立関係にあったといわれるベルリン工芸博物館や民族学博物館の動向との比較を目的とした調査研究について、報告するものである。1.研究の背景先行する研究のうち、とりわけ1996年に行われたボーデ生誕150年記念コロキウムの開催と(注1)、その翌年に刊行された自伝『わが生涯(■■■■■■■■■■)』(1930)の注釈つき新版(注2)が、ボーデ再考の契機をもたらした。また、ボーデは東洋美術への関心も高く積極的に作品収集を進めていたことから、近年国内外で充実した研究が進展している。ボーデが関わる以前よりベルリンで収集されていた工芸品や非西洋地域の造形物は、19世紀以降移管や保管場所の変更を繰り返しているため、その過程を辿ることは困難であるが、ドイツではバーバラ・ムントらによるベルリンの工芸に特化した研究において、収集の過程のみならず展示の様子などの再構成も行なわれた(注3)。また、国内においても、例えば安松みゆきはナチス政府によって20世紀初頭に実施されたドイツ国内での日本美術展の経緯やその詳細を明らかにするなかで、ドイツにおける日本美術受容の礎を築いた人物の一人としてボーデやその周囲の人物らを挙げている(注4)。また、池田祐子はベルリンにおける工芸の立ち位置やその展示の成立を明らかにする研究において、後述する工芸博物館とボーデの対立が互いの美術史観を象徴的に示していることを論じた(注5)。本調査研究もそれらに多くを― 514 ―― 514 ―
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