鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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ボーデは工芸博物館と民族学博物館いずれにおいても、博物館の建築と展示物の関係性に「味わい」や「趣味」が欠けることを批判している。これには当時の工芸博物館館長レッシングらとボーデの対立も考慮しなければならないものの、ボーデは西洋美術作品の展示と同様に、非西洋の造形物の展示においても美的な要素を求めているといえる。19世紀、上記2館の開館前に非西洋に関連する資料を所蔵していた新博物館においても、それら資料は無装飾の空間に展示されたのに対し、同館内の西洋関連の展示室には色彩豊かな装飾が施されるなど、両者には異なる位置づけがなされていた。工芸博物館においては西洋の工芸技術を用いた装飾が館内外に施されたが、そのうち非西洋の芸術に対する意識が読み取れるものとして博物館外壁のモザイク装飾をあげられる〔図2〕。ベルリンの画家エルンスト・エーヴァルト(Ernst Ewald, 1836-1904)らのカルトンに基づいてヴェネツィア産のガラスモザイクで開館時に作られたこのモザイクは、ファサード上部に8枚、東壁(左壁)と西壁(右壁)の同じ位置に9枚ずつ設置されている(注21)。円形あるいは四角形のモザイクは例えば正面のファサードにおいて、左から順に中国(注22)、エジプト、インド、イスラーム、古代ローマ、ビザンティン、ゴシック、ルネサンスを示すように、さまざまな国・地域の文化をあらわす女性擬人像を描いており、それぞれの文化を代表する工芸品や建築模型などを携えている。このとき東アジアは西洋を中心とする工芸芸術の一部に組み込まれているといえる。同様に館内中央の吹き抜け空間の天窓を囲う部分には、彫刻家のオットー・ガイヤー(Otto Geyer, 1843-1914)の構想によるレリーフが設えられた〔図3〕。このレリーフは戦災により失われた箇所が多くすべての図像を確認することはできないが、制作当初は24枚の区画にそれぞれの時代・地域の文化を示す工芸や衣装を伴った人物群の行列の様子が彫刻され、最終的に中央部に位置する玉座のボルジアのもとへと行列がたどり着く様子が示されている(注23)。行列にはファサードのモザイクと同様、このレリーフにも日本や中国の工芸品を携えた人々の様子が表されていたことが記録された(注24)。モザイクと異なるのは、これらの行列が一つの時系列に沿った工芸史の記述をなしており、その上ボルジアが終着点とされることからもわかるように、各国の地域の中でも自国、ドイツの工芸が強調されている点にある。ガイヤーのレリーフの中では、東洋の芸術までもが単線的な工芸史の表現に組み込まれ、ドイツ工芸史の展開に資するものとして描かれている。さらに、工芸博物館開館時のテクストは以下の文言で締― 517 ―― 517 ―

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