⒄ 2017年、ダーレムのアジア美術館と民族学博物館は閉館し、2020年に開館したフンボルト・フォーラムへと展示場所を移した。この施設の設立経緯などは以下の研究ノートを参照。三井麻央「想起されるべき過去─ベルリン、フンボルト・フォーラムの建築と展示」表象文化論学会ニューズレター『REPRE』Vol. 47、表象文化論学会、2023年。https://www.repre.org/repre/vol47/note/mitsui/⒅ 池田、2020年、144-145頁。⒆ Bode, 1997(1930), S. 167.⒇ Ebd., S. 227. Winnetou Kampmann/ Ute Weström (Hrsg.): ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■図版出典図1 Staatliche Museen zu Berlin, Zentralarchiv: https://id.smb.museum/object/1751140(CC 図2 筆者撮影(2022年)図3 筆者撮影(2022年)図4 Staatliche Museen zu Berlin, Ethnologisches Museum: https://id.smb.museum/object/794675図5 Staatliche Museen zu Berlin, Zentralarchiv: https://id.smb.museum/object/1752101(CC (Otto Kümmel, 1874-1953)が担った。第一次大戦後は東アジア美術が工芸博物館の建物で1924年から、その他の民族学博物館の展示は1926年から展示を再開した。■■■■■■■■■■■■■■, München, London, New York: Prestel, 1999. 東洋美術のモザイクは刊行時のテクストでは「中国」を表現したとされるが、そのパネルは、女性が着物を身につけ日本髪を結っており、必ずしも厳密な時代・地域の考証に基づいていない。Kunstgewerbemuseum zu Berlin (Hrsg.) 1881, S. 64. Kunstgewerbemuseum zu Berlin (Hrsg.) 1881, S. 65. フリーズの説明は以下のように記された。「[…]フリーズのもう半分は、北側の中央グループで再び始まり、西側へと移動する。最初に、石器・青銅器時代の最古の芸術の段階が示される。そして続いて、スフィンクスを持ったエジプト人、戦いの車に乗ったアッシリアの王。西側にはインドとペルシア人がオリエントの宝物と共に、絵のようなキャラヴァンにいる。そして中国が仏塔のような車に乗って、日本が磁器の器でいっぱいのカゴとともに。南側では、デルフトのファヤンス焼きの画家が、ある種日本人へのつなぎを作っている。オランダはルーベンスの時代の人として、ベルギーはボビンレースの糸巻きを持った女性として現れる。18世紀をシュリューターの姿が大選帝侯の立像とともに示し、そして陶器の画家と後にシャードウと彼の同時代人のグループが続く。ここでは列が再び中央のグループである玉座のボルジアで締め括られる。」Kunstgewerbemuseum zu Berlin (Hrsg.) 1881, S. 65, 66. Kunstgewerbemuseum zu Berlin (Hrsg.) 1881, S. 66.BY-SA 4.0)(CC BY-NC-SA 4.0)BY-SA 4.0)― 520 ―― 520 ―
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