⒅ 野田麻美「作品解説 狩野一信 五百羅漢図」『幕末狩野派展』静岡県立美術館、2018年9月、 拙論「逸見一信筆「五百羅漢図」と近世後期における戒律復興」『美術史』179、美術史学会、 注⒁松嶋前掲書、p. 69、24行目~p. 70、9行目 佐々木英理子 作品解説「頼朝千羽鶴放生会図」注⑺前掲書(小学館)、p. 65 田島佳也「北の海に向かった紀州商人─栖原角兵衛家の事跡─」『海と列島文化1 日本⒄ この落款の写しは2016年、逸見家伝来資料が増上寺に寄贈された際には見あたらなかったため、当時の報告には記載されない。しかし、注⑼河合前掲論文(p. 23、左段28~34行目)に記載がある。筆者は、河合氏と港区教育委員会による調査時の写真アルバムを閲覧する機会に恵まれたため、これらの写しについて報告する。p. 183、4段33~36行目⒆ 安村敏信「東京芝・増上寺の『五百羅漢図』一〇〇幅は狩野一信によって描かれた。」『江戸絵⒇ 上嶋悟史「養鸕徹定編『羅漢図讃集』の資料性」『美術史論集』22、神戸大学美術史研究会、 『羅漢図讃集』の編纂過程については、注⒇上嶋前掲論文に詳しい。 森大狂は明治33年と大正15年の2度、一信伝を発表した。大正15年の文章には、一信が佐竹永 一信自身の落款もあるが、写真アルバムで確認できた他の絵師は、狩野探幽、安信、尚信、英一蝶、円山応挙、高嵩谷、長沢蘆雪、狩野彰信、狩野栄信、亀田綾瀬、谷文晁、山本梅逸、中林竹洞、高久靄厓、「徹山」であった。なお、写真では河合氏が報告された「鵬斎」「抱一」は確認できなかった。画の非常識』敬文社、2013年3月、p. 228~2322022年2月、p. 129、下段8~17行目2015年10月、p. 138に序文の全文を掲載した。海と菊池容斎に対し「ひそかに二人をもて知音となしきとぞ」と追記された。海と北国文化』小学館、1990年7月、p. 385、10行目~p. 386、11行目付記美術史学会西支部例会(2024年1月)にて、本調査研究の成果の一部を口頭発表した。その際、ご助言・ご指導いただいた諸先生方に御礼申し上げます。「井伊直亮画像」の調査にあたっては彦根・清凉寺住職 村瀬行寛様、彦根城博物館学芸員 髙木文恵様、柴崎謙信様、また、逸見家伝来資料の写真アルバム閲覧に際しては河合正朝様、2012年当時の板橋区立美術館館長安村敏信様、同学芸員佐々木英理子様に大変お世話になりました。御礼申し上げます。― 530 ―― 530 ―
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