の本作のような作例こそ、周信画の特徴をよく示すことが明らかとなり、従来の周信画に対する見方を修正する必要が生じた。」と述べている(注21)。以上、周信の評価と先行研究を確認したが、「描き崩し」「気力消磨」「線描主体」「粗放な筆致」「力強い筆致」など、様々な視点で語られている。周信は狩野派の頭取として、多様な注文に応えたはずであり、当然のことながらそれらの絵の特徴は画題や制作年代、支持媒体の大きさなどに合わせて変えているため、作品形式に沿った視点での検証も積み重ねていく必要があるだろう。先行研究では、大画面の紹介が多いため、本稿では、小画面形式の人物表現について確認していきたい。・狩野永叔主信、狩野常信、狩野探信守政、狩野探雪、狩野洞春福信、狩野周信、狩野岑信、狩野洞元、狩野柳雪、狩野梅雲「和漢画手鑑」紙本著色、(各)28.2cm×25.3cm、1帖、17世紀末頃、池上本門寺所蔵本作は江戸狩野派10名の絵師たちが10図ずつ描いた計100図が収められている。永叔主信の作品の署名には、初名の「明信」と書されており(注22)、17世紀末頃の制作と考えられている。周信の30代頃の画風を確認することができる貴重な作品である。各図には署名「周信筆」と「藤原」(朱文方印)が捺される〔図1〕。周の字の1画目と2画目の間が開き、信の字の人偏と言の間を広く取る点は、前述した「西湖図」などの他の周信作品に通じる。周の字の幅が狭く書かれる点は後述する「六歌仙図」や「蛤観音図」(ともに板橋区立美術館)などの小画面作品に共通している。本作には絵師名と画題が記された目録が2点付属している。各図を詳細に確認することは紙幅の都合上難しいため、ここでは中国美人の立ち姿が描かれた周信「霊昭女」〔図2〕と常信「西王母」〔図3〕、鍛冶橋狩野家の探雪「楊貴妃」〔図4〕の3点を比較する。まず面貌表現から確認していく。周信本〔図5〕は、頬や顎を膨らませるように淡墨の細い輪郭線で象っている。目は切れ長で瞳と眉、髪の毛は濃墨を均一に施している。眉は緩い孤を1本の線で描く。額には胡粉が厚く施され、上唇と下唇を淡墨で描いた上に朱が点じられる。髪の毛の数本は垂れたように線で描かれている。常信本〔図6〕は、顔の輪郭線を濃墨で描き、顎から首にかけては、描き直したような跡が見られる。眉は2本の線で描き、目は周信本ほど切れ長ではない。上唇と下3 小画面形式の周信画― 538 ―― 538 ―
元のページ ../index.html#551